No、352                             10、3、16

 愛好会通信 

徳間ドッジボール愛好会

 6年生を送る会が盛大に 

13日(土)。愛好会恒例の「6年生を送る会」は80人が参加して行われました。会場の公民館は5年生の保護者の皆様が中心になってきめ細かな準備と設営がされていました。サンダーキッズの6年生は5年生のリコーダー演奏(「威風堂々」の曲)に合わせて胸を張って入場しました。

【チーム代表から】

この会はドッジボールの卒業式です。卒業する12名の成長を祝い、これからの進路を激励する会、そして、監督コーチ・保護者の皆様への感謝とご慰労の会です。

「夢と希望を持って生きる」 この言葉を贈ります。

サンダーキッズの3年間は、夢の全国大会を目指す厳しい練習とライバルチームとの真剣勝負、そして交流の日々でした。君たちがどんなに辛くてもドッジボールを止めずにここまで続けてこられたのは「夢と希望」を失わなかったからです。みんなで目標を持ち、励まし合って努力してきたからです。

たとえ大きな困難に出会っても、自分が描いた夢と自分が決めた目標を失わず、「信じて・耐えて・努力する」姿勢は必ずや人生の羅針盤となるに違いありません。

若きプロゴルファー・石川遼選手は海外メディアの記者会見で「Nothing ventured Nothing gained」と語っていました。

「挑戦することなしには、何も得られない。」

サンダーキッズのO監督、コーチのSさん、Aさん、Mさんはじめ保護者の皆様にはこれまで愛好会の活動を親身になって支えていただき、心から感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

サンダーキッズの選手諸君、これからも輝き続けてください。       (金星太郎)

 

メダルと胸にサンダーキッズが入場。

くす玉が割れて、「卒業おめでとう」が飛び出しました。

 

サンダーキッズの卒業生一人一人に後輩から送別のことばが送られました。下級生は上級生一人ひとりの特徴や癖を良く知っていて驚きました。しかも自分たちもサンダーキッズの後に続いて頑張りたいという決意も込められていました。

「フォーメーション練習でいつも隣にいて、励ましてくれたことがうれしかった。」

「声の大きさが一番でした。いつも元気いっぱいにプレーしていた。」

「体の正面でキャッチしていて、僕も見習いたい。」

「腕を振り切ってボールを投げる所がいいと思う。」

「学校では児童会の副委員長として当番活動を一生懸命やっていてすごいと思った。」

「中学では勉強が大変になると思うけど、部活も頑張ってほしい。」

「僕たちも全国大会をめざしてがんばるので、練習を見に来てください。」

サンダーキッズの選手たちも一人ひとりが作文を読みました。

 

中学校へ行っても頑張ってください。

楽しいドッジボール生活でした。皆さん、ありがとう!

 

兄がドッジボールをやっていて、すごく楽しそうだったから僕もドッジを始めた。最初に試合に出してもらった「たけのこ杯」で初めてキャッチを決めた。すごくうれしかった。4年で愛好会に入ったら56年のアタックがすごく速くてボールが当たるとすぐに泣いてしまった。その年の知事杯でサドン3セット勝ちベスト8になれた。すごくうれしかった。5年ではバーニングキッズに入れてもらって、4年で行けなかった北信越大会に出た。でも、2回戦で負けてしまい、ものすごくくやしかった。来年は「絶対勝ちたい」絶対全国大会に出たいと思った。6年になってアップルランド大会では決勝戦で若槻と戦って負けました。ジャパンカップでは予選3位通過でしたが、勝ち進み準決勝でドルフィンズ二葉と対戦、1セット目は勝ち、でも2・3セットは負けてしまった。辛い練習をたくさんして知事杯になった。でも、最後のファイナルブレイカーズ戦で9:9の同点。これで全国大会に出れなくなりました。ものすごく悔しかった。一緒に戦ってくれた5年生ありがとう。色々用意してくれた保護者の方に感謝しています。今までありがとうございました。

入学してすぐにフレンドリーに入りました。最初2年のK君やH君の球が速くて、こわかったです。2年になって友だちがたくさん入ってきて13人になりました。たけのこ杯の時、T君がヘッドアタックになったのを覚えています。3年で初めて同学年でたけのこ杯に出たけど、七二会ピコに負けて何ももらえませんでした。愛好会に入って4年キッズジュニアとして出た知事杯は決勝トーナメントでサドンデスゲームばかりでした。ベスト8まで行けた時はうれしかったです。5年の時の北信越大会の5回ぐらい前の練習で指を骨折して出られなかった。すごく悔しかった。今年は新型インフルエンザなどで大会に出られなかったけど、宮城で行われたジャパンカップのカラーコートで試合ができて、3位に入賞できたのが良い思い出になりました。

2年の時にK君がドッジをやっているのを見て楽しそうだなと思ってフレンドリードッジに入りました。最初は楽しんでやっていたけど、4年生になって愛好会に入り練習が厳しくなりました。やめようと思ったけど、5年で全国大会に出られなくて、悔しくてやめようという気持ちはなくなり、一生懸命に練習した。6年になってUSC杯でライバル若槻に勝ってはじめて優勝しました。うれしかったです。知事杯では予選で1位、でも、決勝リーグで3位となり上へは行けませんでした。すごく悔しかったです。塚田先生、監督コーチ、お母さんたち、今まで応援などしてくれて、ありがとうございます。これからもがんばります。

僕はS君に誘われて2年の時にドッジボールを始めました。4年になり愛好会に入りました。週3日の練習が大変でした。5年ではバーニングキッズに入れてもらって厳しい練習になりましたが、その分キャッチできた時の喜びも大きくなりました。三山カップのエキシビションマッチに出させてもらい、他のチームの人と同じチームでやったのは初めてなので緊張しました。6年になり、USC杯は準々決勝で尾島と当たり、粘って勝てました。決勝は若槻と当たり、サドンの時僕は内野にいました。でも、守備になる間もなくT君が当ててくれて優勝できました。すごくうれしかったです。僕たちのために指導してくださった監督コーチ、塚田先生、支えてくださった保護者の皆さん、本当にありがとうございました。ドッジボールで鍛えた心と体で中学でもがんばります。

僕はS君のお父さんに誘われてドッジボールに入りました。とても楽しいドッジボール生活の中で一番心に残ったのはジャパンカップです。予選3位で決勝トーナメントへ進み、トルネードファイターズ、佐野小ファイターズ、鹿島ドッジファイターズとどんどん勝ち進み、準々決勝は新鶴ファイターズでした。みんな盛り上がっていて大差で勝ちました。準決勝は予選で111で敗れたドルフィンズ二葉とやりました。第1セットを取り、第2セットを取られ、第3セットは良い勝負でしたが最後の方でやられてしまいました。とても悔しかったけど全国レベルの大会で3位に入賞できてうれしかったです。保護者の方のおかげでできていることを忘れず、ドッジボールの経験を中学校で生かしていきたいです。

僕は2年の終わりからドッジボールを始めました。初めはよくわからなかったけど、練習を続けていくうちにだんだん楽しくなってきました。5年の時、知事杯決勝に出してもらって緊張したけど、キャッチできてとてもうれしかったことが印象に残っています。6年になり優勝、準優勝の成績もあったけど、知事杯で惜しくも引き分けて北信越大会に進めなかった時はとても悔しかったです。カラーコートでも試合ができ、ドッジボールに入って友達も増え、苦しい時や辛い時もあったけど、とても楽しかったです。塚田先生、監督、コーチ、いろいろな面で応援してくださった保護者の方々のおかげです。長い間ありがとうございました。

僕は2年生の時、T君に誘われてドッジボールを始めました。一番心に残っているのは初めて優勝したUSC杯と3位になったジャパンカップです。僕たちは最初の頃はなかなか優勝できずにくやしい思いをしたけどUSC杯ではみんなの持っている力を発揮し、最後に若槻に勝ったことがとてもうれしかったです。ジャパンカップでは初めてのカラーコートで、強いチームばかりだったのでとても緊張しました。大きなメダルまで届かなかったのが残念でした。塚田先生、監督、コーチやOBなどの人達が僕たちのために一生懸命に教えてくれました。厳しくて辛い時もあったけど、続けてきて良かったと思います。陰で支えてくれた保護者の皆さん、本当にありがとうございました。

2年の秋にみんながドッジボールをやっていたので、自分もやりたいと思って入りました。初めは「うまくできるのか」不安でした。けれど、やっているうちに不安な気持ちがなくなりました。4年になるとフレンドリーから徳間ドッジボール愛好会に移り、練習もまるっきり変わりました。そして、きつくなりました。6年生になると「サンダーキッズ」として6年全員で試合に出られるのがうれしかったです。一番印象に残っているのは知事杯です。この大会は全国大会につながる大事な大会で、初日は楽に上がれましたが、最終日の予選で神川に負け、ファイナルに引き分け、予選通過できなくなりました。とてもくやしかった。中学に行っても何かスポーツをがんばりたいです。先生、監督、コーチ、ありがとうございました。

僕がドッジボールに入ったのは、最初弟が友達からさそわれて、いっしょに3年の時に入りました。すごく思い出に残っている大会は夏のアップルランド大会です。アップルランド大会では決勝まで進んで、あと一回勝てば優勝という場面で若槻TOPGUNと戦いました。それで、試合は初めに4番に当てられて、負けている状態でボールを捕って攻めたけど負けてしまった。あの時は、くやしかったです。二つ目はジャパンカップです。予選では優勝したドルフィンズ二葉に111で負け、その後は勝ち進み準決勝でまたドルフィンズと対戦、今度は1セット目に勝ったけれど、23セット目は勝てそうだったけど負けてしまった。3位になりました。すごくくやしかったです。愛好会の3年間、ありがとうございました。

僕はS君にさそわれて3年の頃ドッジボールに入りました。それで6年になって初優勝は「クラブUSC杯」、初めての金メダル「サラダカップ」、初めてのカラーコート「ジャパンカップ」は3位。そして、全国大会がかかった「アップルランド杯」決勝ではライバル若槻TOPGUNと対戦して負けてしまった。次の全国大会につながる「知事杯」では予選を勝ち上がり、決勝リーグの1試合目の残り数秒で逆転されてしまい、その負けがひびき決勝リーグの最後の試合、勝たなきゃならない試合を引き分けに終わり、決勝リーグ敗退で全国大会へ行けなかった。でも、とても楽しいドッジボール人生だった。塚田先生、長田監督、酒井コーチ、そして支えてくださった保護者の皆様、今までありがとうございました。

僕はS君にさそわれて3年生からドッジボールを始めました。最初は不安だったけれど、練習するにつれて不安はしだいに消えていきました。4年生になって愛好会に入りました。56年の練習はものすごいなと思いました。そのプレーを学んでいきました。5年生になってバーニングキッズに行く人が出ました。だけど、僕はキッズジュニアでした。そして、6年生になってサンダーキッズになりました。ポジションは左の方から真ん中の方になりました。初めての遠征で三重に行きました。「始の一歩杯」で5位に入賞しました。クラブUSC杯では若槻に勝って優勝、それに続いて「二十一世紀少年少女杯」でも優勝しました。そして、かんじんなアップルランド大会(優勝すれば夏の全国大会へいけます)の決勝では若槻との戦いに敗れました。でも、もう一つ全国大会へ行ける大会があります。「知事杯」です。僕たちは相手に1点多く勝てば決勝T進出というところでファイナルブレイカーズとあたりました。ところが同点で惜しくもかないませんでした。3年間ドッジボールをやって礼儀やチームワークを育ててきました。中学にも生かしたいです。みなさん、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

僕は3年の途中でドッジボールを始めました。始めた理由は、S君と遊んでる時にさそわれたからです。その時は少しこわかったです。4年になって本格的なドッジボール愛好会に入ってからは、練習がきつくなりました。5年になってからはキッズジュニアの半分ぐらいがバーニングキッズに行ってしまい、キッズジュニアは4年の方から借りてやっていました。6年になってからは、がんばって練習してUSC杯、二十一世紀杯で優勝しました。それからは様々な大会で入賞しました。でも、知事杯でファイナルブレイカーズに及ばず、すごくくやしかったです。中学ではドッジボールがないけど、がんばりたいです。

 

【サンダーキッズの長田監督のあいさつ】

6年生の12名、愛好会の卒業おめでとう。

今振り返ってみると、永遠に続くように思えた毎日ですが、あっという間に過ぎてしまったような気もします。

私とドッジボールとの関わりは長男のビクトリーキッズからで、通算で9年になります。フレンドリーの1年の頃は4名でした。途中で辞めた子がいて、先生と「この学年は人数が揃わなくて大丈夫かな?」と話した覚えがあります。先生が「あせらないで、大きな気持ちで待ちましょう。」と言っていたら、友達が友達を誘い、親が親同士を誘ってフレンドリーの終了時には14名となりました。

3年の時、子どもたちに基本ルールのプリントを配って、一列フォーメーションの練習等をして、たけのこ杯に臨みましたが、七二会にサドンデスで負けて、初めて悔しさを覚えました。

4年の時は長野市選手権の決勝トーナメントで予選1位のチームに大逆転勝利、感動のあまり両足が痙攣を起こして立っていられないほどでした。アップル大会も接戦をしのいで決勝Tに進出、知事杯もサドンの連続で勝利し、ベスト8になり健闘しました。4年として公式戦28勝、勝率5割以上は快挙だと思います。

5年生の時は同じ学年で2チームに分かれましたが、普段アタックができない子もアタッカーとして活躍し、全員がアタック・パス・キャッチで底上げができたと思います。

6年の時は前半のひだまり大会や長野市選手権で結果が残せず、ここから強気のアタック・粘りのキャッチをテーマにおやじの指導者が本気の姿を見せて、気持ちを伝えました。

アップル大会は愛好会として5年ぶりのカラーコートが近づきましたが、あと一歩の準優勝でした。

今思えば10月の宮城県のジャパンカップに参加したことは、カラーコートで試合を経験できて、なおかつ3位に入賞できたことは良い思い出になりました。

サンダーキッズは優勝4回、準優勝5回、3位1回、敢闘賞1回、5位1回、ベスト8が2回という成績でした。練習の一環の「スクェアパス」3分で180回もすばらしい記録だと思います。

スタッフの酒井・宮島・虻川各コーチ陣には全面的に協力してもらい、時には選手といっしょに「ぶらっと」銭湯で感動を分かち合い、あるときは居酒屋で意見を戦わせ、大人同士で大きく成長しました。山崎監督はじめ5年のスタッフにも全面的に協力していただき感謝します。

お母さんたちにも協力してもらいました。4年の時には自主的に事務局を立ち上げていただき、感謝します。ママさんキッズの一丸となった応援は、ベンチにいながら涙が出るほど感動しました。

最後に愛好会当初より「あいさつ」「マナー」「感謝の気持ち」等を言ってきましたが、これからの中学校生活を含めて人生の基本であると感じます。是非徳間小学校の卒業式は愛好会の精神を持ってしっかり行ってください。人生は試行錯誤、失敗を恐れずに突き進んでください。本当にありがとうございました。

 

O監督から記念品が贈呈されました。

5年も加わって酒井コーチの力強いエールが響きました。

 

選手といっしょに汗を流してきた酒井コーチのあいさつも心にしみました。5年キッズと共にサンダーキッズを励ます力強い「エール」が会場に響き渡りました。

4年生の出し物は「しなのの国」ダンスでした。色とりどりのボンボンを振って元気に踊りました。会場からは「ハイ、ハイ!」という大きな掛け声も飛び、盛り上がりました。

5年生はリコーダーで「カノン」を演奏しました。Mコーチの指揮に合わせて美しい音色が響きました。

 今年のスライドショー「サンダーキッズ物語」は6年保護者のNさんがお忙しい中を作成してくださいました。サンダーキッズの大会での活躍、低学年からの軌跡、選手一人ひとりの素顔、今年度の愛好会活動の様子など、ていねいに編集していただいてあり、見ごたえのある内容でした。Nさん、ありがとうございました。

おやじキッズの今年の出し物は「それが大事」の大合唱でした。

♪ 負けない事・投げ出さない事・逃げ出さない事・信じ抜く事

駄目になりそうな時 それが一番大事

負けない事・投げ出さない事・逃げ出さない事・信じ抜く事

涙見せてもいいよ それを忘れなければ  ♪

練習なしのぶっつけ本番の熱演でしたが、息もぴったりで大いに盛り上がりました。

 

運動会を思い出す4年キッズのダンス。

本番が一番上手に演奏できました。

ママさんキッズも手拍子で応援。

次期社長候補が熱演しました。

 

ママさんキッズの皆さんがステージへ集合し、選手一人一人にメッセージ入りの手作り写真立てをプレゼントしてくださいました。サンダーキッズの選手たちは少し照れながらも、誇らしげに受け取っていました。

昨年卒業したバーニングキッズの土屋監督のご発声で万歳三唱。そして、参加者のアーチをくぐってサンダーキッズの12名が巣立って行きました。

こうして今年も愛好会最大の行事である「6年生を送る会」が無事に終了いたしました。なお、5年生の保護者の皆様には早くから準備を進めていただき、当日の運営も滞りなく進めることができました。ご支援ご協力に厚く感謝申し上げます。

 

ママさんキッズのプレゼントは気持ちがこもって重いよ。

アーチをくぐる卒業生親子。おめでとう!

 

 

 OB会で大人が交流 

13日(土)の夜、公民館の和室に愛好会の監督コーチOB(おやじキッズ)17人が集結しました。今回は昨年の10周年記念事業のまとめと反省を行いました。

お忙しい中を多数お集まりいただき、感謝いたします。いただきました貴重なご意見・アイデアは次回の事業に生かしていきたいと考えております。

懇親会では卒業生の近況も報告されました。とりわけ進学・就職の節目を迎えた世代にとっては遠くへ旅立ったり、新しい世界へ挑戦したり、緊張と不安を抱えたご家庭もおありかと思います。いずれにしても愛好会で培った体力と精神力で今後それぞれの場において活躍されることをご祈念申し上げます。

 

10周年事業へのご支援に感謝します。

万年青年のおやじキッズ、ばんざ〜い!!