No、388                            11、3、15

 愛好会通信 

徳間ドッジボール愛好会

 6年生の作文 

 12日(土)に行われた「6年生を送る会」で発表されたライジングキッズ選手たちの作文を掲載します。

 

ぼくは6年間ドッジボールをやってきました。たくさんある思い出の中から一番心に残っていることは全国大会の決勝トーナメント1回戦です。Dokkysとの試合で、ぼくは残り1秒でアウトになり、同点になってしまいました。ここで負けたら・・・と頭が真っ白になりました。9VS9で迎えたサドンデスで、O君のアタックが決まり、2回戦に進むことができました。アタックを決めたO君には助けられたし、チームのみんなの勝ちたいという気迫がすごく、みんなに助けられた試合でした。やっぱりチームっていいなと思いました。

今まで指導してくださったT先生、Iコーチ、Oコーチ、Mコーチ、監督、45年生の監督コーチの方々、本当にありがとうございました。お父さんお母さん方、応援をありがとうございました。そして、ドッジボールで身につけた体力、判断力、冷静さ、「ぼくらはヒーロー みんながエース」という言葉も忘れずに、中学でもがんばります。

ドッジボールは、ぼくにたくさんの事を考えさせてくれました。真夏の体育館でのランニングでは根性が身につきました。仲間を信じてパスをつなげることで、仲間とのきずなを深めました。大きな声のあいさつが友だちを作ったり徳間の良さを知ってもらうことになると思いました。自分の気持ちが伝わらない悔しさや先が見えない辛さも知りました。そして、何といっても目標になった、そして兄貴の夢でもあったカラーコートに立てた時の感動は今でもはっきりと覚えています。

ぼくはドッジボールに出会ってよかったです。T先生、Y監督、Oコーチ、Mコーチ、Iコーチ、お母さんたち、ジュニアの監督コーチと選手たち、どうもありがとうございました。そして、ライジングキッズのみんな、ありがとう。愛好会で教わったことを忘れず、中学でもがんばります。

ぼくは北信越大会で負けたくやしさもありますが、達成感もあります。これまでの6年間、いろんな思い出が作れました。3年生の時、チームスピリッツというライバルができたことや5年生の時、R君やK君といっしょに行った長野市選抜のことです。選抜は何回も会場を変え、いろんな強いチームの所で練習して、もう一度選考がありました。ぼくは体力、実力共にすべての面で他の選手に負け、長野市選抜から落とされました。しかし、ぼくはあきらめられず、強くなって全国大会に行き14人の仲間と一緒に有名になってやろうと思いました。

アップルランドカップの時はいつもとちがって、きんちょうしませんでした。ぼくには頼れる仲間がいたからです。アップルランドカップ優勝。ぼくはこんなに良い思い出を作れました。

ぼくは6年間ドッジボールを続けてきました。その中で忘れられないことがあります。それは4年生の時です。これまでずっと一緒にドッジボールをやってきたU君が大阪へ転校することになりました。最初、それを聞いた時はとてもおどろき、信じられませんでした。ぼくはU君とクラスは違ったけれど、ドッジボールを通じてとても仲良くなりました。そして、引越しの日、何人かでU君を駅まで送りに行きました。その時、大阪で行われる全国大会に出場し、U君に会いに行こうと思いました。しかし、北信越大会で敗れ全国大会へ行くことができませんでした。U君はずっとぼくたちのことを応援してくれていました。

ドッジボールでは勝ち負けだけでなく、他にも大切なことをたくさん教えてもらいました。このことを忘れず、これからもがんばっていきたいと思います。ありがとうございました。

ぼくは1年の頃、だれかにさそわれてドッジボールに入った。それから2年になってだんだん人が増えてきたので、楽しくなった。3年になり大会に出ることになって、とてもたいへんになってきた。4年になると愛好会が始まった。4年でもたくさん大会があった。練習もきびしくなりたいへんだった。5年になり4年よりも大会が増え練習もきつくなった。監督コーチにいろいろ言われながら練習した。大会では上位に入れなかったけど、いっしょうけんめい練習を重ねた。

6年になって大会がとても多くなり、とてもたいへんだった。でも、上位に入ることが多くなりうれしかった。でも、かんじんな大会でよく負けて悲しい思いもした。けれど、くじけないで、次は負けたチームに勝つようにがんばった。そしたら勝てた。とてもうれしかった。

ぼくは保育園を卒園する時に先生に「徳間小に行くなら、強いドッジボールチームがあるから是非やってみないか。」と言われ、1年生の時から始めました。最初はあまり興味がなく、あたって外野へ出るとすぐに座り込んでいました。でも、仲間ができて楽しくなってきました。その仲間との初優勝は3年の時のスポーツフェスティバルです。うれしくて次は全国大会に行きたいと思い始めました。

そしてついにライジングキッズの時代がやってきました。毎日、アップルランド大会まであと何日という意識で練習に励みました。自主練習もしました。そして、ライバルのチームスピリッツに決勝で勝ち、全国への切符を手に入れました。夢がかなった瞬間でした。みんなが一つになった時でもありました。その後、きときと杯、ドッジやろうぜ杯の準優勝、北信越など、思い出がたくさんあります。春の全国大会に行けなかったのはくやしいけれど、ライジングの仲間やT先生、Y監督、Oコーチ、Mコーチ、Iコーチと共にドッジボールができたことをうれしく思います。ありがとうございました。愛好会で学んだことは中学校へ行っても忘れずに大切にしていきたいです。

ぼくが一番思い出に残っている試合は、長野市選手権大会の決勝です。1セット目はあまりパスがつながらなかったので、なかなかアタックが決まらず3点差で負けてしまいました。2セット目の残り5秒の時点で8対8の同点でした。そして、O君から相手の肩のコースをねらったきわどいパスが来て、ぼくは素早くアタックをしました。すると、ボールが下に落ち、アウトにすることができました。このアタックを決めることができたのは、パスをぼくにまでつないでくれた攻撃陣と8人までに押さえてくれた守備陣のお陰です。本当にありがとう。次の3セット目も勝つことができ、ライジングとして初優勝することができました。他の大会でもいい成績を残すことができ、楽しくドッジボールをやれたのは、監督コーチやT先生、保護者の方々の支えがあったからだと思います。今まで本当にありがとうございました。

僕は1年の時にフレンドリードッジボールに入りました。入ったばかりはボールもしっかり投げることが出来ず、積極的にドッジボールを行うことが出来ませんでした。しかし、友達と楽しく試合をしていく中でルールを覚えたり、投げたり取ったりすることが出来るようになり、土曜日の練習に行くのが楽しみになりました。

4年生になり、愛好会に入りました。フレンドリーとは違い練習はとても厳しかったけど、がんばりました。6年生の夏、今まで目標にしてきた全国予選のアップルランド大会がありました。色々なチームを勝ち抜いていよいよ決勝戦。相手は「チームスピリッツ」。昔からライバルとして戦ってきたチームでした。3セットマッチの戦いが始まりました。1セット目は負けてしまい、2セット目、3セット目は力を出し切り、みんなが一つになって勝つことができました。チームスピリッツに勝った時は今までドッジボールをやってきた中で、一番うれしかったです。僕たちが全国大会に出場できたのも、T先生、Y監督、Oコーチ、Mコーチ、Iコーチ、そして応援してくださったジュニアや保護者の皆さんのお陰でした。本当にありがとうございました。

ドッジボールを始めたのは、2年生の時でした。N君が始めていたので、ぼくもドッジボールをやり始めました。一番心に残った大会は二十一世紀少年少女杯です。予選は1位上がりでした。決勝トーナメントの1回戦は神川ミックスと対戦、10対4で勝ちました。村上ドッジとは10対2で勝ちました。3回戦目は、徳間同士の戦いでした。11対1、11対6で勝ちました。決勝戦は「Serita」が相手でした。ぼくは1セット目、2セット目ともにいっぱいボールを取れたので個人賞をもらいました。うれしかったです。

Y監督、Oコーチ、Mコーチ、T先生、Iコーチ、ジュニアの監督コーチ、お母さんたち、今までありがとうございました。ドッジボールというスポーツに出会えて良かったです。

ぼくは3年生からドッジボールを始めました。4年間で一番心にのこっているのは、6年のアップルランドカップで優勝して全国大会へ行ったことです。全国大会では、夢のカラーコートで試合をすることができて、うれしかったです。ぼくの親は弟が生まれたので、応援に来なかったけど、お母さんが長野から応援してくれていると思って、キャッチをがんばりました。

悲しかったことは北信越大会で負けてしまって全国大会へ行けなかったことです。これでドッジボールは終わりだけれど、仲間や支えてくれたみんなのことを一生忘れません。ありがとうございました。

ぼくは2年生の時にフレンドリードッジに入りました。ライジングキッズでのぼくのポジションはとても変わりました。まず右サイド、次に左サイド、最後にパスカットという順番で変わりました。左サイドから右サイドへ移った後のサイドの引き方はとても難しかったです。アップルランド大会の時は右サイドでした。左サイドでの初めての試合はアルプスカップです。

アップルランド大会の決勝戦で勝った時、みんな泣いていました。もちろんぼくも泣きました。その時、印象に残っているのが監督の姿です。ぼくたちがベンチにもどった時に監督は体育館の床に倒れて、泣いていました。監督は「よくやった。」と言っていました。ぼくは「走ってきたかいがあったなぁ。」と思いました。こういう思い出ができたのも、監督コーチ、先輩、保護者の皆さん、いろいろな人のおかげだと思っています。ありがとうございました。

ぼくは3年生の時にU君等にさそわれてフレンドリードッジに入りました。最初は逃げてばかりいたけど、とれるようになってきてうれしかったです。4年になり、愛好会に入りました。練習がきつくてやめたくなったけど、それを乗り越えて今日までやってこれました。ぼくが印象に残った大会は北信越大会です。この大会の成績はベスト8でしたが、トーナメント1回戦のマキサウスダイナミックス戦の2セット目がとても楽しかったです。ぼくは肩に来た球に手を出してしまいましたが、5月の遠征でやった飛び込みアシストを思い出して、とっさに飛び込んだらO君やK君のフォローもあり、取ることができました。その後の終盤も逃げ腰だったけれど、取りに行ったら取れました。本当にうれしかったです。

ぼくのドッジボールを始めるキッカケは、お兄ちゃんがドッジボールをやっている所を見たからです。だから、1年生のときにドッジボールを始めました。楽しくドッジボールをすることができました。4年生になって愛好会に入り、それまでよりも練習がきつくなりましたが、勝つために今まで以上にがんばりました。しかし、4年生の時はあまり勝つことができなかったけれど、5年生になるとちょっとずつ勝てるようになって、うれしかったです。

そして、6年生になりチーム名が「ライジングキッズ」になりました。練習もさらにきつくなり、大変だったけれどその分勝った時のうれしさが倍以上になりました。ここまでがんばることができたのは、監督やコーチ・保護者の方々の支えがあったからです。今までありがとうございました。

ぼくがドッジボールを始めたのは4年生からです。4・5年生ではひたすら基礎を学びました。そして、6年生では5分・10分間走をし続けて体力をつけました。そして迎えた吾プルランドカップ。これまでの基礎練習のおかげで、ふだんより疲れが少なかったのを覚えています。この時、いかに積み重ねが大事かということを実感しました。そして、決勝戦。みんなの応援やベンチの声がけで一致団結して戦えました。まさに「全員ドッジ」です。みんなの心が一つになれば勝てるんだなと思いました。全国大会ではベスト8でしたが、みんなの応援があったからこそできたことだと思います。

今まで応援してくれてありがとうございました。ここまで指導してくださった皆さん、T先生はじめ監督コーチや保護者の皆さん、OBの方々、ありがとうございました。

 

 OB会で現役監督コーチ陣を慰労 

 12日(土)の夜、恒例の愛好会OB会が開催され、ライジングキッズの監督コーチ陣との懇親およびご慰労を行いました。

東日本大震災の影響でお仕事が急に入ったり、出張先から帰って来れなかったり、色々なお立場でお忙しいところを14名の方々にお集まりいただきました。感謝申し上げます。

 

本年度も無事に活動を終えた現役指導スタッフをご慰労しました。

若手のSコーチも弟と共に参加し、あいさつをしました。

 

《 今後の予定 》

月  日(曜)

    内容

カギ当番

3月 15日(火)

5:00〜7:00

社会体育館

 

   17日(木)

5:00〜7:00

社会体育館

 

   20日(日)

3:00〜5:00

社会体育館

 

   22日(火)

5:00〜7:00

社会体育館

 

   24日(木)

5:00〜7:00

社会体育館

 

   26日(土)

9:00〜12:00

運動公園体育館

 

   29日(火)

5:00〜7:00

社会体育館

 

   これで今年度の練習は終了です。新年度は47日(木)から始まります。