No、494 14、3、22
愛好会通信
徳間ドッジボール愛好会
フェニックスキッズ卒業
21日(金祝)、恒例の「6年生を送る会」が開催され、フェニックスキッズがドッジボールを卒業しました。
この会を企画・運営してくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました。また、お忙しいところをご参列いただいたOBの方々にも感謝申し上げます。
【チーム代表の言葉】
本日の「6年生を送る会」は、ドッジボールの卒業式でもあります。 フェニックスキッズの9名の皆さん、卒業おめでとう! そして、保護者の皆様、お子さんのドッジボール生活からのご卒業に際しまして、心より祝福の言葉をお贈りいたします。おめでとうございます! ところで、「フェニックスキッズ」は創立以来15代目のチームです。徳間ドッジボール愛好会は「徳間ドッジボールスポーツ少年団」に組織変更して1年目を終了したわけですが、 監督コーチ、保護者の皆様にはこれまで愛好会およびスポーツ少年団の活動を支え、ご支援ご協力をいただき、本当にありがとうございました。厚く感謝申し上げます。 さて、フェニックスキッズの皆さんは8名が低学年からドッジボールをはじめました。1年生からやっている人は5人です。SH君、SN君が4月から、SJ君が11月、MT君が12月、NY君は2月に入会しています。 2年生から始めた人は2人です。IY君が9月から、HR君は1月に入会しています。 3年生から始めたのはYK君です。4月に入会しました。 そして、KR君は4年の9月29日(木)に入会してくれました。 合計9人のフェニックスキッズがこれまで徳間ドッジボール愛好会の活動を先輩から引き継ぎ、大きな成果と足跡を残し・・・こうして後輩にしっかりと受け渡してくれたことに対して、改めて感謝したいと思います。 ありがとう! 皆さん、フェニックスキッズに大きな拍手を送りましょう! ところで、私は徳間ドッジボールスポーツ少年団の代表として、少し時間をいただいてお話をしたいことがあります。 それは、ドッジボール精神についてです。 昔、今のSコーチが現役当時、北信越大会でのことです。それは、それは、激戦でした。 先日の北信越大会で「MD」チームのエースが味方のパスしてくれたボールを捕球できずに、悔しがって床を踏み鳴らしていましたが…、当時はそんなもんじゃない、「○○ぇー」と言ってアタックしてきたり、整列して握手するときにパチンと手を叩いてきたり・・・、審判へのアピールもひどかった。 そういう意味の激戦もあったわけです。 ・・・、作戦が気に入らないと言って、あいさつもしてくれないチーム指導者がいたり・・・、いろいろな厳しい状況をくぐり抜けてきました。 スポーツの良さ、ドッジボール精神とは何でしょう? 保護者の皆様は、お子さんのドッジボールに熱中する姿をご覧になり、きっと勇気や希望、喜びや感動、信じる心・・・いろいろな宝物を得たのではないでしょうか? そうです。スポーツは人々に「生きる意欲」を与えてくれるのです。 そして、重要なのは、対戦相手との関係です。 体格や体力・筋力が違っても、考え方や作戦、チームカラーや信条が違っても、同じルールの下で対等に試合ができる。 あいさつに始まって、あいさつで終わる。 試合中は敵であっても、試合が終われば同じ仲間であるという人間関係・・・。「敵」と「仲間」という「相反する人間関係」を統合していこうとする営みがスポーツであるとも言えます。 こうした人間同士の関わり方、もっと言えばコミュニケーション能力を養うのがスポーツの目的でもあると考えられます。 どんな人とも関わりを切らずに、あきらめずに共通点を見つけて、付き合っていこう! まずは、「あいさつ」から・・・。これがドッジボール精神です。 さて、お話はこれで終わりです。 『フェニックス』というのは「不老不死」という意味や「不死鳥」という意味だとお聞きしました。 火に焼かれても、なお、そこから蘇る・・・永遠の時を生きる奇跡の鳥でしょうか? そんな君たちは・・・、きっとこれからどんな困難な局面や苦しい場面にめぐりあっても、ドッジボールで養った精神と肉体で、必ずやそれを乗り越えて、自らの人生を切り開いて言ってくれるものと信じています。 私は「還暦」を過ぎて、今年はこの4月6日で、62歳です。君たちは私以上に可能性を持っている。 自分の夢に向かって勇気を振り絞って挑戦してほしい。そして、数年後にまた徳間小学校体育館へ来てください。 「こんな夢を実現したよ・・・!」 という報告を待っています。 いつまでも・・・、頑張れ! フェニックスキッズ! 最後になりましたが、このような盛大な、そして心のこもった「6年生を送る会」を企画、ご準備いただいた在校生の保護者の皆様、とりわけ5年生の保護者の皆様に感謝とお礼を申し上げて、私のあいさつに替えたいと思います。 ありがとうございました。 |
【監督の言葉】
6年生のみんな、それから6年生の保護者の皆さん「卒業おめでとうございます」 ここにいるすべての皆さん「1年間監督をやらせていただき、ありがとうございました」・・・。 H君、キャッチした時に自然に出てくる声がとてもすてきでした。見事に一年間キャプテンを務めた。後半、とても「キャプテン」らしい行動、声がけができていたよ。 T君、外野はとても安心して見ていられたよ。けして剛速球とは言えない球で、多くのアタックを決めたね。 Y君、普段やっていない外野をT君の代わりに任され、無難にこなして、北信越大会出場に大きく貢献してくれた。 N君、試合で相手のアタックをキャッチした時の形相は、私は好きでした。試合後に審判に注意・警告されたこともあったが、勝負しているんだからそのぐらいの気合をみせないと。 R、当初は助っ人として4年の秋から加入しました。知事杯のSerita戦の直前に鼻血を出した時は、本当にびっくりした。 R君、キャッチした時はものすごくかっこよくきれいにキャッチするけど、当たる時はすごくかっこわるくて、中途半端なところがない。 J君、4年生の時キャッチはものすごく上手で、低い球もきれいにキャッチして「キャッチ職人」のようだった。最後のさよなら大会ではアウトゼロ。内に秘めた闘志を感じた。 Y君、小さい体なのに大きいモーションで投げる。何かやってくれそうな期待を持たせてくれた。現に、最後のさよなら大会では渾身のアタックを決めました。 K君、6年になって2ヶ月ぐらい、個別に私と2人きりでパス・キャッチ練習をしたね。何度も悔し涙を流しながら練習したね。だが、弱音を吐かず、根情のある子だと思った。 Iコーチ、私が練習に参加するようになって間もなく、あなたとボールを投げ合っている時、私は指2本の腱を切ってしまいました。素人の私相手に速い球を投げてくれたね。おかげで接骨院に通うことになってしまった。卒業までに仇を取ろうと思って頑張ったけど、所詮無理な話だった。熱心に子供たちを指導してくれたIコーチに感謝している。 「声がけ」・・・あいさつ 「逃げない」・・・壁にぶち当たっても克服する。 「寄せる」・・・ひとりでは何もできない。仲間がいて初めて自分の価値も出てくる。 「目立つ人ではなく、人の役に立つ人」に成ってください。 最後に、このような会を企画、実施していただいた皆さん、ありがとうございました。 5年生、4年生のみんな、これからも頑張ってください。 |
【6年生の言葉】
ぼくがドッジボールを始めたきっかけは、兄にあこがれて「やってみたい」と思ったからです。1年生から3年生まではドッジボールを楽しくやっていました。4年生から6年生までは、全国大会出場という目標に向かってきびしい練習をしてきました。でも、その目標は達成できませんでした。キャプテンとして、最初のころは自覚が足りず、みんなをまとめていけなかったけど、最後にきて、やっとみんなをまとめていけるように感じました。 ドッジボールをやっていて、学んだことは心が強くなったということです。どんなに苦しくても、あきらめずにがんばれば、必ず勝てるということです。他にも仲間の大切さがわかりました。一人じゃ捕れない球もみんなで捕れば、捕れるということです。 この6年間で、きびしい練習をやりぬくことで優勝に近づけることがわかりました。 中学に行っても、この気持ちを忘れずにがんばりたいです。 |
ぼくがドッジボールを始めたきっかけは、今は北海道にいるSH君にさそわれて、ドッジボールクラブに入りました。最初は、とりあえずオーバーラインだけを気を付ければいいと思いました。でも、ワンタッチをはじめとする沢山のルールがあると知りました。 特に思い出に残っている事が二つあります。一つ目は、4年の時になかなか勝てなかった小谷DBCにようやく勝って、優勝したオープンドッジボール大会です。二つ目は、2年ぶりに北信越ブロック大会に出場できたことです。ぼくはインフルエンザにかかってしまい、知事杯に出られなかったけれど、仲間ががんばってくれて、北信越大会出れました。仲間にはとても感謝しています。 今まで指導してくださった監督、コーチの皆さん、支えてくださったお母さん方、本当にありがとうございました。中学に行っても部活動と勉強をがんばります。 |
新6年生へ。ぼくたちは6年生として至らなかった点もあるかと思いますが、一年間ぼくたちフェニックスキッズについてきてくれて、ありがとう。今年、ぼくたちが行けなかった全国大会へ必ず行ってくれると信じています。がんばってください。 新5年生へ。初めてのレベルの高いD1での戦いです。人数がギリギリなので、ケガをしないようにがんばってキャッチをして、新6年生を支えてあげてください。 お父さん、お母さんへ。4年のころから入賞する事が少なかったぼくたちですが、それでも支えてくれて、ありがとう。そのおかげで、たまにだけど優勝や準優勝できたのだと思います。 中学では部活など、さらに忙しくなると思いますが、よろしくお願いします。監督・コーチ・お父さん・お母さん、新5・6年生の皆さん、今まで本当にありがとうございました。 |
ぼくは4年の10月ころにドッジボール愛好会に入りました。ぼくが入った理由は、同じクラスだったH君とA君にスポーツフェスティバルの助っ人として入ってくれと頼まれたからです。最初はスポーツフェスティバルだけだと思っていたけれど、だんだん楽しくなってきて入会しました。 ぼくが入りたてのころのIコーチはすごくやさしかったけど、今ではおこる時、すごくこわいです。でも、すごくきびしいおかげで、ぼくは強くなれました。すごく感謝しています。コーチや先輩方、ぼくたちの練習に来てくれて、ありがとうございました。そして、5年生、ぼくたちといっしょにドッジボールをやってくれて、ありがとうございました。 中学校でもがんばります。 |
ぼくは2年生の終わりにH君に誘われてドッジボールに入りました。入ったばかりの時は、ルールもよく知らなかったけど、みんながすごく分かりやすく教えてくれました。ルールを覚えるにつれて、どんどんドッジボールが楽しくなっていきました。 4年生になり、フレンドリーから愛好会に変わり、練習内容が急に厳しくなりましたが、毎回練習に行くのが楽しみでした。 初めての大会では、2番として出ました。大会に出た時はすごく緊張しました。 4年生中間になり、強豪チーム出てきて何度も苦戦しました。そのため練習も厳しくなりましたが、練習を休まずに行き、初めて強豪チームに勝って優勝した時はとてもうれしかったです。 5年生の時は、6年生と同じチームとしてやってきました。一緒にやっていた時は感じなかったけれど、6年生がいなくなった時に、6年生にたよっていたんだなと思いました。 6年生になり、自分たちのチームになりました。今度は自分たちが中心になってチームを引っ張って行く番になりました。ぼくは右端から2番目のポジションになりました。ターンの時にすばやく動かなきゃいけない所なので、見た目以上に体力を使います。右端は正面からのボールより、ななめからのボールが多いので、捕るのが難しく、大会で相手のボールを捕れた時はすごくうれしかったです。 ぼくはこの4年間でT先生はじめIコーチ、監督、OB、お母さん方のおかげでドッジボールをやってこれました。感謝しています。ありがとうございました。 |
ぼくは2年の頃にキャプテンのH君にさそわれて、体験に行ってみたら、思ったよりも楽しそうだったので、始めました。そして、2年生で初めて大会に出た時は、20番ですごくきんちょうしました。でも、みんなは全然平気な顔をしていて、ビックリしました。けど、その頃の練習はお遊び感覚でやっていて、楽しかったけど高学年になるにつれて、練習もだんだんキツクなってきました。練習に行きたくないなぁ〜と思いはじめて、ついに行かなくなった時もありました。いつもお母さんに説得され、時々行けたりしていました。 そして、5年生になり、6年生との練習で最初のランニングに付いていけず、なんで付いていけないんだろうと考えてみたら、それは4年生の頃に練習をサボったりしていたからだと思いました。 そして、6年生になり、ぼくは練習を頑張ろうと決めました。それで、6年生の大会ではアタッカーをやったりすることもあって、良かったです。そして、ぼくは練習はキツイけど、後に良い事はかならず来るということがわかりました。 このドッジボール生活はすごく楽しかったです。 |
ぼくは2年生からドッジボールを始めました。2年生の時はルールも知らなくて、コーチに教えてもらいながら練習を重ねて、4年生になって愛好会に入りました。 4年生の時にIコーチが来てくれて、やさしくきびしく教えてもらいオープンドッジボール大会で小谷DBCに勝って優勝したことが、とてもうれしかったです。T先生、T監督・Iコーチ、今までご指導をありがとうございました。 キッズジュニアのみなさん、一緒に戦わせてくれてありがとうございました。フェニックスキッズのみんな、最後までありがとうございました。 |
ぼくは1年生の3学期の頃、ドッジボールクラブに入りました。始めのうちはうまく投げることができなくて、10メートルもとどかなかったけど、3年生になってやっととどくようになりました。 初めて出た大会では、何度か当たってしまったり、試合で負けてしまったりしてもあまりくやしくはなかったけど、4年生になって愛好会に入ってD2の大会で高学年のチームに負けた時は、初めてくやしいと思いました。 6年生になって全国大会出場を目標に練習をしました。夏の全国大会には行けなかったけど、春の全国の県大会では5位になって、北信越ブロック大会へ行くことができました。 でも、予選の1試合目で負けてしまいました。2戦目を内野11人残って勝てば、予選を突破できたけれど、ぼくは当たってしまいました。チームの人にとてももうしわけないと思いました。今まで、ありがとうございました。 |
僕は、1・2年生の時、ドッジボールがとても弱く、『ドッジボール強くなりたい!』という思いで、ドッジボールに入りました。なかなかキャッチができず、ボールを投げれず、くやしいことがありました。それでも仲間と一緒にドッジボールをやるのが楽しくて、6年生まで続けてきました。 Iコーチや監督たちはいろいろ指導するのが大変だったでしょうが、最後まで指導して頂き、ありがとうございました。最後のさよなら大会では、アタックも決められ、キャッチもできて、一番いい大会でした。このドッジボールで学んだことを中学に行っても役立てたいです。また、ドッジボールで学んだことは一生の思い出で、絶対に忘れません。今までありがとうございました。 |
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式次第 |
入場 |
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代表あいさつ |
インフィニティ監督の乾杯ご発声 |
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ママさんキッズも乾杯 |
恒例のくす玉割り |
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後輩からの贈り物 |
作文発表 |
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4年生はソーラン節 |
拍手 |
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5年のダンス |
マジックショー(紙の自動販売機から…) |
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おやじキッズの出し物 |
小林監督のご挨拶 |
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6年保護者からのプレゼント |
懐かしい映像が・・・ |
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ユニフォームの伝達式 |
のぼり旗の贈呈 |
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恒例の円陣 |
万歳三唱 |
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アーチをくぐって退場 |
卒業おめでとう |
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今年度の活動報告 |
お悔やみのご献杯・・・ |
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飲ミュニケーション |
初代からドリームまで・・・ |
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バーニングキッズ指導者 |
拍手 |
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自慢話 |
1・2・3・ダァー! |