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 愛好会通信 

徳間ドッジボール愛好会

 リバイバルキッズ旅立ちの時 

 

15日(日)、恒例の「6年生を送る会」が開催され、リバイバルキッズキッズがドッジボールを卒業しました。

この会を企画・運営してくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました。

 

【チーム代表の言葉】

本日の「6年生を送る会」は、ドッジボールの卒業式でもあります。

リバイバルキッズの6年生の皆さん、卒業おめでとう!

そして、保護者の皆様、お子さんのドッジボール生活からのご卒業に際しまして、心より祝福の言葉をお贈りいたします。おめでとうございます!

 

「リバイバルキッズ」は創立以来16代目のチームです。徳間ドッジボール愛好会は「徳間ドッジボールスポーツ少年団」に組織変更して2年目を終了したわけですが、

監督コーチ、保護者の皆様にはこれまで愛好会およびスポーツ少年団の活動を支え、ご支援ご協力をいただき、本当にありがとうございました。厚く感謝申し上げます。

 

(近藤さん、斉藤潔君の紹介とお礼・・・)

 

さて、リバイバルキッズの皆さんは・・・低学年からドッジボールをはじめました。

フレンドリーキッズの時代、4年生では「キッズジュニア」、そして5年生では「フェニックスキッズ」の一員として活躍しました。

6年生の今年度は「リバイバルキッズ」として大会に出場し、優勝3回(あすなろ杯、白馬アルプス、長野リーグファイナルステージ)、準優勝2回(長野リーグ・徳間の里)、35回、4位敢闘賞3回(アップルランド杯、長野スポフェス、北信越)という安定した好成績を修めました。

特に、先日のさよなら大会では、これまでの練習の成果を思う存分に発揮し、のびのびと徳間らしい「全員ドッジ」を展開し、感動的な試合をやってくれました。

 

これまで徳間ドッジボール愛好会の活動を先輩から引き継ぎ、大きな成果と足跡を残し・・・こうして後輩にしっかりと受け渡してくれたことに対して、改めて感謝したいと思います。

ありがとう!

皆さん、リバイバルキッズの6年生に大きな拍手を送りましょう!

 

次に、5年生、4年生の皆さん、君たちは6年生を支え、共に戦ってくれました。今年度のリバイバルキッズが活動できたのは5年生4年生の活躍のお陰です。

ありがとう!

皆さん、5年生、4年生の選手たちにも大きな拍手を送りましょう!

 

ところで、私は徳間ドッジボールスポーツ少年団の代表として、少し時間をいただいてお話をしたいことがあります。

それは、「親切の請求書」というお話です。

私たちは誰かに親切をすると、どうしてもお礼を言ってほしいとか、もっと喜んでほしいとか、お礼や見返りを求めたくなります。

自分の満足いくお礼や感謝の言葉がなかったり、親切にした時の反応が少なかった時は、『親切にしてやらなければ良かった・・・』などと後悔したり、心の中で相手をののしったりしてしまいます。

相手のために尽くせば尽くすほど、『これだけ尽くしてやっているのに』という気持ちも出てきて、『こんなに私はあなたのためにやっている。どうだ、喜びなさい!』と、相手に親切の請求書を突きつけたくなってしまいます。

せっかく相手に善いことをしても、その相手を恨んだり憎んだりして、自分が苦しむ結果になるなら、それはとても悲しいことです。

お釈迦様は、

「親切をした相手にお礼や見返りの請求書を突きつけなくても、必ずまいたタネまきは巡り巡って、あなたのところに返って来るのだよ。」

と、教えられています。

だから、期待していたお礼や感謝の言葉がない時は、貯金をしていると思えばいいのです。

あなたが善いタネをまいておけば、必ずその結果はあなたに返ってくるのです。

親切にした相手から直接返ってくることもあれば、巡り巡って、違う形で返ってくることもある。

数日の後に返ってくることもあるし、何年か後に返ってくることもある。忘れてしまっても、ちゃんと返ってくるのだから、「私が」「あなたに」「こんなことをしてあげた」という請求書を捨ててしまいましょう・・・、とお釈迦様はおっしゃっております。

これは「幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く」という本の紹介でした。(岡本一志さんの著書)

 

「こんなに頑張ったのに優勝できなかった・・・」

「こんなに努力して勉強しているのに、テストの成績が上がらない・・・」

「子どもたちのために、こんなに支援しているのに、こんなに一生懸命育てているのに、思うように子どもが育たない・・・。」

「会社のために、こんなに尽くしているのに、社長や上司は分かってくれない・・・」

「・・・・のに、・・・。」

ということに似ていますね。

こんな時、お釈迦様は何とおっしゃると思いますか? そうですね。

『相手に感謝の言葉や報酬、結果をすぐに期待してはいけませんよ。あなたの努力は必ず巡り巡っていつか返ってきますよ。何年かかるかは分かりませんが、相手をうらんだり憎んだり、(自分を責めたりしないで・・・)必ず返ってくるから、その時まで貯金しておきましょう!』

 

さて、お話はこれで終わりです。

『リバイバル』というのは「復活」という意味や「原点に戻る」という意味だとお聞きしました。

これからの人生、いろいろな困難や悩み、迷いがあると思います。そんな時は、徳間小学校体育館でドッジボールをやった小学生時代の原点に戻って、もう一度「自分らしい生き方」を見つめ直してほしいと思います。

 

私は「還暦」を過ぎて、今年はこの46日で、63歳です。君たちは私以上に可能性を持っている。

自分の夢に向かって勇気を振り絞って挑戦してほしい。

そして、数年後にまた徳間小学校体育館へ来てください。

「こんな夢を実現したよ・・・!」

という報告を待っています。

いつまでも・・・、がんばれ! リバイバルキッズ!

 

最後になりましたが、このような盛大な、そして心のこもった「6年生を送る会」を企画、ご準備いただいた在校生の保護者の皆様、とりわけ5年生の保護者の皆様に感謝とお礼を申し上げて、私のあいさつに替えたいと思います。

ありがとうございました。

 

【6年生の言葉】

僕は幼稚園の頃にドッジボールで遊んでいて、楽しかったので1年生の時にドッジボールを始めました。

最初はボールが怖くて逃げてばかりで、練習に行きたくないなぁと思いました。だけど、毎週練習に参加しているうちにボールを怖がらなくなっていきました。大会にも行きたいと言って、大会に出てみました。大会に出たら楽しくて、もっといっぱい大会に出たいなぁと思いました。

4年生になって、愛好会に入りました。練習が週に3回で、本格的になりました。特に、ランニングがついていけなくて、頑張りました。

5年生になって、フェニックスキッズとして6年生と共に練習をしていきました。試合に出られない時もあって、もっと練習を頑張ろうと思いました。協会長杯の時に今まで全然勝てなかった古里に勝って優勝して、とてもうれしかったです。

6年生になって、僕らの時代になりました。デビュー戦で優勝し、この調子で頑張るぞと思いました。だけど、夏の県予選では残念ながら4位でした。僕はその時に春の県予選では優勝するぞと思いました。さらに練習にも気合を入れました。だけど、知事杯では準決勝で負けてしまい3位という結果で終わってしまいました。

全国大会には行けなかったけれど6年間、今まで監督やコーチ、そしてチームの皆さん、ありがとうございました。

ぼくがドッジボールを始めたのは、2年生の時にK君に誘われて練習を見に行って、とても楽しそうだったのでフレンドリーキッズに入りました。練習を始めたらとても楽しかったので、保育園の時から仲の良かったS君を誘いました。

最初はボールがこわくて、逃げていたけど、練習をしていくうちにキャッチができるようになりました。

愛好会に入って、ぼくたちはキッズジュニアとして大会に出ました。その頃からアタッカーをやらせてもらいました。練習はとてもつらくて、やめたくなった時もあったけど、がんばって続けました。愛好会は合宿や遠征でみんなで泊まることができて楽しかったです。

ぼくたちが6年生になって、チーム名がリバイバルキッズになりました。賞をいっぱいもらえたけど、全国につながる大会は2回とも逃してしまいました。最後のさよなら大会では、3位だったけど銅メダルがとれて、とてもうれしかったです。

ドッジボールでみんなといっしょに戦えてよかったです。

ぼくのドッジボール生活は1年生の4月から始まりました。お父さんに「何かスポーツをやれば」と言われ、ドッジボールに入りました。

最初はボールがこわいと思ったし、全然ボールについて行けなかったので、つまらないと思った時もありました。でも、つまらないという気持ちをおさえて続けていたら、どんどんドッジボールが楽しくなってきました。さらに、ドッジボール以外のスポーツも大好きになり、ドッジの6年間いっしょに過ごした最高の仲間も出来ました。ドッジボールをやっていなかったら会えない人達もいたと思います。

この1年間の目標は、全員が「全国へ行く」でした。アップルランド杯と知事杯が全国に行ける大会でした。でも、アップルランド4位、知事杯は3位で、全国へは行けませんでした。どちらの大会もとても楽しくできたので、くやしかったけど、くいは残りませんでした。

ぼくは6年間、ドッジボールをやってきて、最高の仲間と出会えて全国出場という大きな目標を持てたことが本当に良かったです。

塚田先生、監督、コーチのみなさん、チームのみんな、今まで6年間ありがとうございました。

ぼくがドッジボールを始めたきっかけは、当時同じクラスだったK君に誘われたからです。最初はぜんぜんボールが届かなかったり、とれなかったけど、練習をやっていくうちに、だんだんうまくなってきました。

4年生になり愛好会に入り、今までとはちがってとてもきびしい練習でした。5年生になって、D1の試合に出ました。D1の試合は6年生の球は速くて、その球をとれた時はとてもうれしかったです。

6年生になり、自分達がチームを引っ張っていく事になり、自分が希望していたパスカットができるようになって、1年間がんばりたいと思いました。その中で一番心に残っているのは、あすなろ大会で優勝できた事です。新チームで初めての大会で、みんなが心を合わせて優勝できたからです。

ドッジボールをやって学んだ事は、つらい事やいやな事から逃げ出さないで最後までやりぬく事を身に付けました。それは自分だけの力で乗りこえたわけではなくて、仲間達が一緒にがんばってくれたからです。そこで、仲間の大切さも知りました。この仲間達は、ずっと友達でいたいです。

中学校へいったらちゃんと勉強、部活をがんばり、みんなバラバラになってしまうけど、またリバイバルキッズのような信頼できる仲間を作りたいです。

塚田先生、監督、コーチ、指導してくれてありがとうございました。お父さん、お母さんは送り迎えや応援をしてくれて、ありがとうございました。おかげで楽しくドッジボールができました。

ぼくは2年生の時にS君にさそわれてドッジボールに入りました。始めは全然ルールがわかりませんでした。でも、どんどんやっていくうちにわかるようになり、とてもドッジボールが楽しくなりました。

4年生になって友だちも増え、愛好会に入りました。練習がとてもきつくなりました。4年生の時は体育館の南側で筋トレやミニゲームなどをやりました。休けい時間が決められていてびっくりしました。

5年生になり、6年生と試合に出ました。県外の新潟や埼玉の大会にも出ました。練習では、走ることが多くなり、大変でした。

6年生になると、チーム名が「リバイバルキッズ」になりました。全国大会出場を目指して日々練習にはげみました。練習がさらにきつくなり大変だったけど、その分勝った時のうれしさが倍以上になりました。全国大会出場の夢はかなわなかったけど、最後の「さよなら大会」で3位になりメダルをもらえて良かったです。

ここまでがんばれたのは、一緒に練習をしてきた仲間がいたからです。そして、色々と指導してくれた監督やコーチ、先輩達のおかげです。最後に色々な場面で支えてくれたお父さん、お母さんありがとうございました

愛好会で学んだことは、中学へ行っても忘れずに大切にして行きたいです。今まで本当にありがとうございました。

ぼくは小学1年生の時にドッジボールを始めました。始めは全くキャッチができなくて、試合でもすぐに当たってしまいました。アタック力もなかったぼくには、キャッチがいちばんのとりえなのに、キャッチ力もなく、試合に出られないことが多々ありました。

そして、1年が過ぎ、2年生になりました。2年生では、キャッチ力が上がり、試合に出れることが多くなりました。でも、このときからぼくは、アタッカーになりたいと思うようになりました。ぼくは、アタッカーになるために練習をまじめに取り組み、時には自主練習もしました。

そして、2年がすぎました。このころになるとみんな身長が伸び始め、みるみるうちに大きくなりました。でも、ぼくは身長があまり伸びず、キャッチ力が上がったものの、アタック力は全く上がりませんでした。ぼくは「キャッチ力が上がったのに、アタック力が上がらないのはなぜだろう」と考え、「練習がたりない」という結論を出し、猛練習しました。でも、全くアタック力が上がる気配がなく、何度練習してもアタック力は上がりませんでした。この時ぼくは身長がみんなより低かったので、身長が足りないのかなぁと悩むようになりました。そして、この日からぼくは、毎日いろいろなものを食べて、規則正しい生活をしました。

そして、1年がすぎ5年生になりました。5年生になったぼくは、身長がすごく伸び、投げる球のスピードも速くなりました。そして、アタッカーのチャンスを頂き、ついにアタッカーになりました。そして、あっという間に1年がすぎ、先輩とも別れ、6年生になりました。

6年生では「どの大会でも3位以内に入る」という目標を立て、練習をまじめにがんばってきました。そして、数々の大会で優勝や上位に入ることができました。これも今まで支えてくれたチームメイトがいてくれたからです。チームメイトに、そしてドッジボールに感謝して、これからも中学でがんばりたいと思います。みんな、今までありがとう。

ぼくはT君にさそわれて1年の春にドッジボールを始めました。最初の頃は、「めんどくさい」と思っていて、サボってしまう時期もありました。でも、だんだんキャッチが出来るようになり、球も前より遠くへ届くようになり、楽しくなってきました。

4年になり、フレンドリーから愛好会になり、練習内容も厳しくなりました。でも、毎回練習に行くのは楽しみでした。4年の中間になると、大会にもたくさん出ました。いつも試合に出ると、とてもきんちょうしました。強いチームなどもいて、何回もアウトになる時がありました。でも、練習を休まずに行き、初めて強い球を捕った時はとてもうれしかったです。

5年生になり、4年の頃よりもっと練習が厳しくなりました。練習の中でもランニングはとてもきつくて、いつも後ろの方でした。

球もみんな速くて、キャッチ練習の時もあまり球がとれなくて「やめたい」と思ったりするときもありました。でも、チームのメンバーがとても良い人たちで、話もおもしろくて続ける勇気がわきました。

6年になり、今度は自分達が後輩達を引っ張って行く番になりました。ぼくはフォーメーションでは右サイドから2番目になり、S君が外野に行ったりする時は、サイドでした。Y君が入ってくるときもありました。他のチームやOBの人達のパスが速くてターンが厳しかったです。クロスで打ってくるのが多く、その球を捕るのが難しかったですが、捕れた時はうれしかったです。でも、その球も一人では捕れなかったと思います。みんながアシストしてくれたおかげで球が捕れたので、チームのメンバーに感謝しています

この6年間で楽しいことや苦しいこといろいろありましたが、苦しいことをやりぬくことで楽しい事があることを知りました。

中学へ行き、部活に入ってもこの気持ちを忘れずに頑張りたいです。

ぼくはドッジボールを6年間やってきました。きっかけは、兄がやっていたからです。

フレンドリーの時は楽しくわいわいやっていて、おもしろかったです。3年生の時はアタッカーをやっていて、投げるのがおもしろかったです。

4年になって愛好会に入ったら、ランニングがとても大変でした。だから、練習がきらいになったこともありました。

6年生になったら、キャプテンをまかされました。大変でした。3年の時とはちがい、とてもキャッチが好きになりました。9番だったから、最初の方はいっぱい球が来て、とてもおもしろかったです。

ぼくがいちばん心に残っている思い出は白馬アルプスカップで優勝したことです。決勝戦のファイナルブレイカーズとやった時、K君とY君とぼくは当たってしまって、もうだめかと思ったけど、みんな外野からもどってきて、勝ったことが一番心に残っています。

6年間ずっと続けてこられて、本当に良かったです。

最後に6年間送り迎えをしてくれた親やいっしょに戦ってくれた4・5年生、そして6年間いっしょにやってくれた6年生に感謝しています。本当にありがとうございます。

 

6年生入場

少し緊張気味・・・

代表のあいさつ

くす玉割り

5年生から感謝状の贈呈

6年生の作文発表

監督のあいさつ

4年生のダンス発表

5年生のコント

おやじキッズの歌「小学6年生」

ママさんキッズの発表

峯村コーチの力作「旅立ちの時」上映

ユニフォームの返還

新チームへ「のぼり旗」の贈呈

6年親子で記念撮影

円陣

万歳三唱

アーチで見送り

 

 

 OB会で懇親 

 

15日(日)夜、恒例の「OB会」が開催され、懇親しました。

乾杯

一年間お疲れさまでした。

ライジングキッズのあいさつ

ダイナマイトキッズのあいさつ

桧山先生のごあいさつ

円陣