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 愛好会通信 

徳間ドッジボールスポーツ少年団

 ライトニングキッズの旅立ち 

 

19日(日)、6年生を送る会(卒団式)が開催され、ライトニングキッズ8名の卒業を祝い、あわせて今年度の愛好会の活動を振り返りました。

準備、運営をしてくださった5年、4年保護者の皆様、ありがとうございました。

 

【島田代表のあいさつ】

まずはじめに、このような盛大な会を設けさせていただきました保護者、ならびに選手に感謝いたします。

また、保護者の皆さん、本日は6年生を送る会にご出席いただき、ありがとうございます。6年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

 

徳間ライトニングキッズは徳間ドッジボール愛好会18代目のチームになります。

私も今から14年前に同じこの場で送られた事を思い出します。

今年度は、私が塚田前代表から新たに代表の命を受け、新体制で始まったわけですが、若さゆえに・・・(中略)・・・皆様には多大なご迷惑をおかけした事をこの場にてお詫び申し上げます。

今年のチームは、歴代初の女子キャプテン、また初の女子選手を含めたD1チームであり、これは徳間の歴史に新たな1ページを刻む事であります。

矢島キャプテン率いる選手たちは、実に心身共にたくましく成長しました。これもひとえに指導者たちの熱い指導、またOBの支援、何より保護者の皆様の支えがあったからこそだと思います。感謝申し上げます。

・・・(中略)・・・

さて、今年のライトニングキッズは、優勝6回、準優勝6回、3位1回、敢闘賞1回、と非常に優秀な成績でありました。

特に、ジャパンカップの決勝戦は見る者を圧倒し、感動に包んだあの試合はけして忘れられません。ライトニングキッズは強者を魅了する強さがありました。

全国トップに君臨する月越ストームもライトニングキッズの強さを認めており、誇らしい限りです。

厳しい練習に、練習試合、大会の数々を乗り越えてきた選手たち。常日頃から目標、目的を持ってドッジボールに打ち込んできた結果です。

今日始めなかった事は、明日終わることはない。今日という日は、明日という二日分の価値がある。

何事も成功するまでは不可能に思えるものであり、希望を抱かぬ者は、失望をすることもない。恐れを抱いている心では小さなことしかできない。

計画のない目標は、ただの願い事に過ぎない。自分に勝つことが、最も偉大な勝利である。

ライトニングキッズの選手たちは、不可能を可能にし、過酷な計画に向かって希望を捨てずに最高のドッジライフを送っていたと思います。

長いキャリアがある私から見ても、ライトニングキッズは魅力的でした。たくさんの感動をありがとう!

最後に、この言葉を贈ります。

 

すべての人にとって人生は美しい

すべての人が幸せを感じる力を持っている

すべての人が愛されている

すべての人が優れた力を持っている

君は今幸せを感じているだろうか?

君は今必要とされていると感じているだろうか?

君は今自分の力を信じているだろうか?

大丈夫。君は愛されている。君は優れた力を持っている。

君のその心の中に幸せはある。声を潜めて、静かに。

その小さな真実の声に耳を傾けよう。

かすかな声が聞こえる。人生は美しいと。

 

まだまだ人生は始まったばかりです。これから立ちはだかるさまざまな強固な壁も君たちならきっと乗り越えられる。

がんばれ! ライトニング!  負けるな! ライトニング!

 

 

【塚田顧問のあいさつ】

ライトニングキッズの6年生の皆さん、卒業おめでとう!

そして、保護者の皆様、お子さんのドッジボール生活からのご卒業に際しまして、心より祝福の言葉をお贈りいたします。おめでとうございます!

・・・(中略)・・・

この会は、今年度の愛好会の活動の総まとめの会でもあります。今年度の活動の特徴は3つあると思います。

@   卒業生の活躍(島田代表、三田村君、小林聖コーチ、渡会君、斉藤君、侑生君、八雲君)

A   女子選手(さえこさん、りこさん、かりんさん)、女性審判員(青松さん、塚田さん)、大人の女子選手(「かぐや姫」の永原さん、小林さん、青松さん、藤森さん)の活躍

B   市内チームとの交流、長野市協会、スポーツ少年団の活動

・・・(中略)・・・

ところで、私は徳間ドッジボールスポーツ少年団の顧問として、少し時間をいただいてお話をしたいことがあります。

それは、「柱も痛かったんだよ」というお話です。

・・・それは、電車で移動中の出来事である。

ちょうど車内は空席が多くて、広々として静かであった。ゆったりとした気持ちで、周囲の座席を独占し、持ってきた本を開いて読みふけっていた。

どのぐらいの時間がたったであろうか。

けたたましい警笛と、鋭い急ブレーキの金属音が、響き渡った。運転手が踏切で、何か障害物を発見して、列車を急停止させたらしい。

相当のショックで、前のめりになったが、あやうく転倒はまぬがれた。と、同時に幼い子供の、かん高い泣き声がおきる。

ななめ右前の座席に、幼児を連れた若い母親が乗車していたことに気が付いた。

たぶん子供は窓ガラスに額をすり付けるようにして外の景色を楽しんでいたのであろう。

突然の衝撃に、幼児はその重い頭を強く窓枠にぶつけたようである。子供はなおも激しく泣き叫んでいる。

私は、その子の怪我を心配して立ち上がってはみたが、たいしたこともなさそうなので、ホッとした。

しかし、直後に、思わぬほのぼのとした、心あたたまる情景を目にして、感動したのである。

だいぶん痛みもおさまり、泣き止んだ子供の頭をなでながら、若いその母親は、やさしく子供に諭している。

「坊や、どんなにこそ痛かったでしょう。かわいそうに。お母さんがウンとなでてあげましょうね。でもね坊や、坊やも痛かったでしょうが、この柱も痛かったのよ。お母さんと一緒に、この柱もなでてあげましょうね」

こっくりこっくりと、うなずいた子供は、母と一緒になって窓枠をなでているではないか。

「坊や、痛かったでしょう。かわいそうに。この柱が悪いのよ。柱をたたいてやろうね」

てっきり、こんな光景を想像していた私は赤面した。

こんな時、母子ともども柱を打つことによって、子供の腹立ちをしずめ、その場をおさめようとするのが、世のつねであるからだ。

何か人生の苦しみに出会ったとき、苦しみを与えたと思われる相手を探し出し、その相手を責めたり恨んだりすることによって、自分を納得させようとする習慣を、知らず知らずのうちに私たちは、子供に植え付けてはいないだろうか、と反省させられた。

 

三つ子の魂、百までとやら、母が子に与える影響ほど絶大なものはない。相手の立場を理解しようとせず、自分の思いだけを主張する、我利我利亡者の未来は暗黒の地獄である。光明輝く浄土に向かう者は、相手も生かし自分も生きる、自利利他の大道を進まなければならない。

うるわしきこの母子に、“まことの幸せあれかし”と、下車したのであった。

これは「光に向かって 100の花束」という本の紹介でした。(高森顕徹さんの著書)

さて、お話はこれで終わりです。

 

これからの人生、いろいろな困難や悩み、迷いがあると思います。そんな時は、徳間小学校体育館でドッジボールをやった小学生時代の原点に戻って、もう一度「自分らしい生き方」を見つめ直してほしいと思います。

 

私は「還暦」を過ぎて、今年はこの46日で、65歳です。君たちは私以上に可能性を持っている。

自分の夢に向かって勇気を振り絞って挑戦してほしい。

そして、数年後にまた徳間小学校体育館へ来てください。そして・・・、

「こんな夢を実現したよ・・・!」

という報告を待っています。

いつまでも・・・、頑張れ! ライトニングキッズ!

 

最後になりましたが、このような盛大な、そして心のこもった「6年生を送る会」を企画、ご準備いただいた在校生の保護者の皆様、とりわけ5年生の保護者の皆様に感謝とお礼を申し上げて、私のあいさつに替えたいと思います。

 

【吉澤監督のあいさつ】

今日は6年生を送る会を開催していただき、また準備など関係者の皆様には厚く御礼を申し上げます。

・・・(中略)・・・

6年生を送る会、ついにこの日が来ましたね。うれしさ半分、寂しさ半分巣立ちの時です。

振り返れば3年生から君たちの監督・コーチとして多くの時間を共有してきました。

3年生のはじめは、3位になるのがやっとで、大会に出ても勝てなくなり、いつも泣いていましたね。上級生と練習しているチームには差が開く一方でした。試合に負けて泣いている君たちを見て、とても辛かった事を今でも覚えています。

・・・(中略)・・・

秋から平日練習を増やし、昭和の森体育館で全員で自主練習もしましたね。今思えば3年生にかなりハードな練習をさせたなと反省しています。練習をとにかく頑張り、準優勝2回と最後に優勝し、君たちが泣く事がなくなりました。

愛好会に上がり、リバイバルキッズ、トラストキッズを経て、ライトニングキッズとチーム名を決めて、この1年がスタートしました。

君たちの監督をやると決めた時、監督は2つのノルマを自分に課しました。

1つ目は、君たちの掲げた全国制覇の目標を現実化させること。

2つ目は、6年生8人全員に必ずライトニングで取ったトロフィーをプレゼントすること。

1つ目のノルマは残念ながら守れなかったけれど、8個のトロフィーはなんとか守ることができました。正直ホッとしています。

・・・(中略)・・・

とっておきの新フォーメーションをやるにはとても難しく、君たちに要求する課題も多く時間がかかりました。・・・

監督が最後に君たちに伝えたいことは、けして強いチームに勝つことではありません。本気で全国制覇という大きな目標に向かって努力し続けたこと、そして自分自身の限界を幾つも乗り越え、成長し続けたこと、それを忘れないでほしいと思います。可能性は無限大、自分が諦めなければ限界は限界でなくなり、目標に変わります。

・・・(中略)・・・

いつの間にかライトニングの名前は県外の強豪に知れ渡り、多くの監督さんからライトニングの選手が褒められると、自分の事のようにうれしかったです。

「電光石火」、監督の理想とするドッジボールを実現してくれて、ありがとう。ひとつの試合でほんの数秒、合わせても数分でしたが、目指したドッジを見せてくれてありがとう。最高の瞬間でした。安定したキャッチ、完成度の高いライン取り、高速ターン、精度とスピード感のあるパスの連動、どこからくるかわからないアタックの嵐。この攻撃、守備ができている時は、どこのチームにも負ける気がしませんでした。

 

君たちが大きく羽ばたき新たな目標にチャレンジし、元気に頑張っている姿を期待します。

最後に、ライトニングキッズを支えてくれた代表、顧問、コーチ陣、徳間OBの皆様、ありがとうございました。そして、保護者の方々がすばらしかった。子供たちを支えて下さり、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

新チーム「クレストキッズ」の活躍を期待しています。

ライトニングを超えてみせろ。超えれば君たちは目標の頂きに大きく近づくでしょう。

クレストキッズ、がんばれ!

 

【6年生の作文】

私がドッジボールを始めたのは、3年生の時でした。きっかけは、周りにドッジボールをやっている人が3、4人いて、その友だちに「『ムッチュー夢中っ子』というテレビをやるので見てください。」と言われました。それを見て楽しそうだと思い、見学に行き入会しました。

最初の頃は、全くキャッチができず、あまり楽しめませんでした。キャッチができるようになるために、お父さんが帰ってきたら「連続で10本キャッチしないと終わらない」という特訓をしました。特訓の成果がでて、4年生の時レギュラーをとることができました。4年生の経験を生かし、5年生もセンターをやりました。学年が上がり、やることが増えたので大変でした。

6年生になり、一つ一つの大会が最後となりました。優勝してそれぞれの大会をいい思い出で終わりたいと思いながら、試合をしました。一番心に残っている大会は、ジャパンカップです。この大会は唯一1回も当たらなかった試合でした。初めてカラーコートを踏んですごく緊張しましたが、一つ一つ勝ち上がっていくごとに強いチームと戦えて、すごく楽しかったです。

そして、一番くやしい思い出は、知事杯とデリシアカップです。全国大会へつながる大会だったので、いっぱい練習しました。このチームで全国大会に行きたかったです。

最後の「さよなら大会」では、今までやってきたことすべてを出し切り「有終の美」をかざるという目標で挑みました。県外からきたチームはほぼ全国へ出場するチームでした。トーナメントに入って、まだ1回も戦ったことがないチームや強豪チームがそろって苦しい試合でした。そして、迎えた決勝戦。サラダの借りを返されないように必死で最後の15分間を楽しみました。優勝が決まった時は、とっても最高の気分でした。

また、表彰式の時、MVPと名前が呼ばれてビックリしました。MVPを取ることができたのは、私一人で取ったものではありません。今まで支えてきてくれた人がいたからこそ取れたのだと思います。

フレンドリーからお世話になった塚田先生、島田代表、監督、コーチ、マネージャー、そして自主練習の時にお世話になった小林コーチ、OBの皆さん、また今まで私たちを支えてきてくれた保護者の皆さん、本当にありがとうございました。

私は二年生の時に、兄のえいきょうでドッジボールをはじめました。入って間もない頃は不安ときょうふでキャッチも全然できずにいました。しかし、月日が流れていくうちに自分のキャッチにも自信がついてきて取れるようになりました。そして、私は六年生になり、キャプテンをつとめるようになりました。キャプテンは簡単につとまる仕事ではありませんでした。

カットも五年生に引き続きやりました。カットは五年生の時に、私がノートに『カットをやりたい』と書いた時から始まりました。その時からかんとく・コーチたちが、私を立派なカットに育ててくれました。ありがとうございました。

でも、始めたころのようになかなかカットを出れずに困っていました。そんな時、初めてカットができた試合は五年生の時のBABAZU交流会でした。あの1本のカットのうれしさは、今でも鮮明に覚えています。

六年生では自分たちが最高学年としての試合なので、いつもドキドキ、ワクワクしていました。私が一番心に残っている大会は、ジャパンカップです。・・・一日目も二日目の予選どちらも順調にすすみ、決勝トーナメントも勝っていきました。決勝では1セット目は2点差で負けてしまいました。2セット目は「絶対勝つ」という気持ちで試合にのぞみましたが、なかなかリードできませんでした。でも、残り少ない時間だったので取りに行きました。カットできました。結果は、2セット目も3セット目も勝ち、優勝です。私たちはジャパンカップから波に乗りサラダカップや協会長杯も良い成績が残せました。

デリシアカップや知事杯は勝てずに悔しかったけど、こんなに入賞できるチームのキャプテンをさせてもらって、とっても幸せでした。キャプテンもカットもアタッカーもできて、本当に色々な事を体験できました。毎日、部活のようにやっていたドッジボールとはなれるのは少しさみしいです。でも、もう悔いは残っていません。

今まで支えてきてくれたお母さん方、コーチ陣、そして塚田先生、かんとく、本当にいつもいつも大変な中、私たちを育ててきてくれてありがとうございました。五年間のドッジボール生活は色々な出会いや思い出がありました。どれも大切な思い出です。本当に楽しかったです。

僕がドッジボールを始めたのは、2先生の頃です。兄の影響を受けて入りました。はじめは楽しいと思って入りました。でも、ボールが少し怖かったです。でも、やっていくうちにどんどん楽しくなっていきました。そこで、今の仲間たちと出会いました。そして、あっというまに四年間がたちました。まず、チーム名、目標を決めて徳間ライトニングキッズが誕生しました。僕はこの時の事をよく覚えています。そして、あっというまに今日まで過ぎていきました。これから思い出に残った大会や遠征を発表します。

新チームで挑んだ「あすなろ杯」。不安と緊張でいっぱいでした。決勝トーナメントで敗れてしまい、とても悔しかったです。

「ひだまり杯」では、初めて月越ストームと戦いました。このチームと互角に戦いたいと思いました。

合宿ではBBQなどをしました。小林先輩が焼きそばを作っていたのがおもしろかったです。

「ジャパンカップ」がありました。初めてのカラーコートで試合をしました。決勝戦は「ゴールドブレイザーズ」、1セット目は取られ、もうダメかと思ったけど、みんな最後まであきらめずに4点差を追いつきサドンになり、サドンを取り、3セット目も取って長野県大会初の優勝でした。僕は「ドッジボールをやっていてよかった」と思いながら喜びました。

「サラダカップ」は復活戦で月越と戦いました。2セット目、相手のエースアタッカーのボールが顔に当たりました。痛かったけど、「絶対、勝つぞ」と思い試合を続けました。結果、月越に勝って、とてもうれしかったです。チーム初の金メダルが取れてよかったです。

「知事杯」は最後の全国を決める大会ですが、決勝トーナメントで古里と当たり、サドンで敗れてしまいました。とても悔しかった。ものすごく悔しかった。後輩に同じ思いはさせたくないので、来年は絶対全国に行ってほしいです。

「さよなら大会」は6年生の僕には最後の大会です。決勝戦では、みんながキャッチしたり、アタックを決めたりすると、どんどん楽しくなりました。最後の大会で優勝できて、しかも金メダルを取れてよかったです。本当にドッジボールをやったかいがありました。

最後に、塚田先生をはじめ、監督、コーチ、お父さん、お母さん、OBの先輩たち、ここまで僕たちを応援してくれて、ありがとうございました。とても楽しいドッジボールでした。

本当にありがとうございました。

僕がドッジボールと出会ったのは、三年生の時です。吉澤監督に誘われてドッジボールに入りました。

入った時はルールも知らずにタダがむしゃらなドッジでした。4年生になりD1のすごさをリバイバルキッズで学びました。トラストキッズでは、三人という少ない人数の六年生を五年生八人で支えるということを学びました。

ライトニングキッズでは、6年生として4、5年生をひっぱっていくということを学びました。そして、ドッジボール生活を通してあいさつや礼儀という基本を学べました。ドッジボールで学んだことはこれからも役立つと思うので、生かしていきたいと思います。

ぼくが一番くやしかった試合は、トラストキッズの知事杯決勝戦です。3セット目までいって、ボールを回された時に何もできない無力を感じ、今までにないくやしさを味わいました。

自分の中で一番の大会(試合)は、最後の「さよなら大会」です。ドッジボール生活の最後が優勝という形でしめくくれたことが一番うれしかったです。そして、最後に保護者や監督、コーチに優勝をプレゼントできたことがよかったです。

今、一番思っていることは、「ドッジボールをやっていて良かった。」ということです。最後にこの仲間とドッジができて良かったです。これからもドッジの練習に行くので、その時はよろしくお願いします。今までありがとうございました。

ぼくは、お兄ちゃんがドッジボールをやっていたので始めました。入った時は、まだボールにも慣れず当たるのが怖くて逃げてばかりでした。

三年生になり、アタッカーとキャプテンをやり、ドッジボールが楽しくなり、最後の大会では優勝も出来て嬉しかったです。

四年生になり、三年生より練習が厳しくなり、みんなについて行くのがやっとでした。

五年生になって、またアタッカーをやらせてもらい、大会で優勝したりして練習も厳しかったけど、頑張れました。知事杯では準優勝で、来年は絶対に優勝して全国に行ってやると思いました。

六年生になり、自分たちがチームを引っ張って行く番になり、副キャプテンもやりました。六年生になってこれまで以上に練習が厳しくなり、「厳しいな」と思ったけど、去年の知事杯のことを思い出して、『頑張らなきゃ』と思って、頑張れました。

自分たちが六年生になって初めて優勝した「ばんえつカップ」では、本当に嬉しかったです。デリシアカップでは、ベスト8で落ち込んだけど、知事杯で優勝しようと思い練習に取り組みました。その後、サラダカップ、ジャパンカップ、協会長杯と優勝して知事杯も絶対優勝するぞという気持ちになりました。でも、知事杯では、優勝して全国に行くことは出来ませんでした。悔しかったけど、予選リーグで審判に注意を受けた時、最後古里戦で当てきれなかった時、チームのみんなが「大丈夫だよ、琉偉のせいじゃないよ」と声をかけてくれたのは、本当に嬉しかったです。でも、最後の大会では、みごと優勝出来て嬉しかったです。ここまで成長出来たのは、お母さん、お父さん、監督、コーチ、保護者の応援、そしてライトニングキッズのみんなのおかげです。本当にありがとうございました。来年は僕たちの分も全国へ行って下さい。

私は二年生からドッジボールを始めました。なぜドッジボールを始めたかというと、一つ上の兄がドッジボールをやっているのを見て、楽しそうだと思ったからです。初めは上手くキャッチできず、投げるのも届かずのくり返しでした。

私のドッジボール生活の中で、今まで一番ドッジボールを続けてきて良かったと思った瞬間は、徳間ライトニングキッズで戦える最後の大会『さよなら大会』で優勝できたことです。今まで沢山練習してきた事を一番発揮でき、沢山笑い楽しくドッジボールが出来たからです。最後の最後でケガをしてしまい三週間練習出来ず、大会に間に合うか不安でしたが、全員で大会に参加できて本当に良かったです。今まで支えてくださった方へ最高のプレゼントが出来たと思います。自分の中でも最高の思い出になりました。

他の大会でも沢山勝つこともでき、私はドッジボールをいうスポーツに出会えて本当に良かったと思ってます。ドッジボールの素晴らしさを教えてくださった島田代表、吉澤監督、コーチやOBの方々、陰で支えてくださった方にいつまでも感謝の気持ちを忘れずにいたいです。そして、私は徳間ライトニングキッズのみんなと戦って勝ったり負けたりした沢山の思い出をいつまでも忘れず、大切な思い出にしていきたいです。

私は本当にドッジボールが大好きです。私がここまで好きになれたのも沢山の人の応援や助けがあったから、ここまで成長できたのだと思います。もうドッジボール生活が終わりだと思うと、とても寂しいですが、徳間ライトニングキッズのみんなと過ごしたことは一生忘れません。今まで支えてくださった方々、本当にありがとうございました。

ぼくは二年生の時、フレンドリードッジボールに入りました。るい君やお姉ちゃんもいっしょでした。入ったばかりの頃は全然ボールをとれなくて、ボールからにげてばかりでした。でも、三年生になったらボールもとれるようになって、どんどんドッジボールが楽しくなりました。それと、愛好会の練習にも参加するようになりました。練習の成果もあり、いろいろな大会で優勝や準優勝、三位になることができました。

四年生になって愛好会に入りました。大会では、たまに出て少しD1のボールもとれるようになりました。

五年生ではレギュラーになりました。アップルランド大会では、千曲ビクトリーに負けて、全国大会には行けませんでした。だから、知事杯では、絶対に勝とうと思っていました。知事杯では決勝戦まできて、相手は東御スピリッツでした。これで全国大会に行けると思っていました。ですが、東御スピリッツはとても強くなっていました。それでフルセットで負けてしまいました。来年は自分たちが引っぱって行くという気持ちになりました。

そして、最後のデリシアカップは、ブレイブに負けてしまい、知事杯は絶対勝って全国大会に出ようと思い、よりいっそう練習にはげみました。知事杯では、決勝トーナメントに入って、古里とあたりました。それで負けてしまいました。その時は、すごくくやしかったです。ですが、まださよなら大会があるからもっと練習にはげみました。そしたら、さよなら大会では決勝戦で杉っ子ファイターズとあたってフルセットの結果、勝って優勝することができました。

今まであいさつをはじめ、いろいろマナーなどを教えていただき、ありがとうございました。送り迎えをしてくれたるい君のお母さん、ありがとうございました。新チームは来年もがんばってください。

ぼくがドッジボールを始めたのは、2年生の時に、るい君にさそわれて入りました。最初はボールにすごくびびっていて、ボールを取れませんでした。でも、始めて取った時はすごくうれしくて練習が楽しくなりました。

3年になって副キャプテンをやらせてもらいカットもやりました。後半は決勝までいっても、ブレイブに負けて準優勝が続きました。そこから練習がきつくなり、練習がいやになることもありました。でも、それにたえた結果、最後の大会で優勝することができました。

5年になって、トラストキッズとして試合に出させてもらいました。最初は不安もありました。でも、大会で何本もキャッチをしたら気持ちが楽になりました。優勝することのできるチームだったけど、知事杯は準優勝で終わってしまいました。二度とこんな思いはしたくないと、次の練習からいつも以上にがんばりました。

ライトニングキッズに名前が変わり、ばんえつ、ジャパンカップ、サラダカップなどの大会に優勝してきました。万全のじょうたいで知事杯を迎えました。予選は全勝し、シードからのスタートでした。1試合目は勝ち、ベスト8で古里とあたりました。ここに勝たないと次に行けないという気持ちが高まりました。試合はサドンデスまで持ちこみ、ジャンプボールは取り、るい君が当ててくれました。でも、審判がアウトを取ってくれず、負けてしまいました。もう全国に行けないと思ったら、すごくくやしかったです。でも、大会はあるからがんばろう、と思いました。

そして、最後の大会、さよなら大会。決勝まで1度も負けずにきました。決勝は杉っ子。1セット目を取り、2セット目は取られてしまいました。3セット目は長い試合だったけど、勝って優勝することができました。優勝できたのも、すべて支えてくれた監督、コーチ、先生、代表たちが教えてくれたからです。

今まで本当にありがとうございました。

 

6年生入場                         島田代表のあいさつ

乾杯                            くす玉割り

表彰状                           6年生の作文発表

4年生のダンス                       5年生の「PPAP」

徳間の松岡修造                       ママさんキッズ

「ライトニングキッズ物語」の上映              のぼり旗の贈呈

斉藤くんの「激励エール」                  アーチをくぐって退場

 

 OB会で懇親 

 

19日(日)夜、「愛好会を支援するOB会」の懇親会が開催され、交流しました。

来年は愛好会創立20周年を迎えるため、記念事業についても話し合いました。年度末のお忙しいところをお集まりいただいたOBの皆様に感謝申し上げます。

 


 
黙祷                                       元気キッズ2、ドリーム、ダイナマイト
 
バーニング、サンダー、ライジング                     インフィニティ、リバイバル、トラスト
 
ライトニング、フレンドリー                          若い指導スタッフ
 
おやじキッズ集合!                             恒例の円陣