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 愛好会通信 

徳間ドッジボールスポーツ少年団

 ブルームキッズ卒業おめでとう! 

 

17日(日)、稲田徳間地区センターで6年生を送る会(卒団式)を行いました。

この会を準備し、運営してくださった保護者の皆様、ありがとうございました。

 

【島田代表の言葉】

 6年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。保護者の皆様、本日はこのような盛大な会を開催していただき、ありがとうございます。愛好会代表として御礼申し上げます。

 第20代目の愛好会としても節目の年の徳間ブルームキッズの選手たち。実にたくましく成長しました。長い選手は1年生からこの愛好会へたずさわり、実に6年間ドッジボールに打ち込んできました。

 例年、選手の枯渇が各チームの課題である中、今年は9名と多く、選手たちには愛好会だけではなく、フレンドリーキッズへの支援もしていただきました。自分たちの練習だけではなく、後輩への支援もしてくれて、指導者として非常に感服しております。

「開花」その意味を込めてチームを発足し、ここまで幾度なく厳しい試練を乗り越えてきたことでしょう。練習通りにいかず、何度頭を抱えて苦しんできたか。

 大会では毎度優勝候補に名を連ねるもFチームとの死闘に敗れてきました。最後のさよなら大会での歓喜の瞬間、ホッと肩を撫で下ろした自分がいました。

 まさに「開花」した瞬間でした。さよなら大会では・・・

「自分たちが今までやってきたことを120%出し切って、楽しくやろう!」

「仲間を信じて最後の1秒まで戦おう!」

そう送り出し、試合ではドッジボールをどこのチームよりも楽しんでやっていました。その事が結果に繋がったのだと私は感じています。

 時に厳しく、時に楽しく、時に悲しく、時に笑い・・・今まで苦楽を共にしてきた仲間との絆を忘れないでください。ここで学んだ事は人生のうちではほんの一部になるかもしれません。ですが、ここで学んだほんの一部を時に思い出してほしい。

楽しいときには仲間が一緒に楽しんでくれた・・・

辛いときには仲間が励ましてくれた・・・

泣いたときには仲間が一緒に泣いてくれた・・・

笑ったときには仲間が笑ってくれた・・・

人は人に左右されやすい。私は君たちに「人から頼られる存在」になってほしいと思います。

相手の気持ちになり、時に厳しく、また時に手を差し伸べ、思いやりのある人間になってほしいと感じています。

 これから中学生。各選手、いろいろな道に進むことでしょう。

私は全力で君たちを応援します。

顔晴れ!!

 

【顧問の言葉】

ブルームキッズの6年生の皆さん、卒業おめでとう!

そして、保護者の皆様、お子さんのドッジボール生活からのご卒業に際しまして、心より祝福の言葉をお贈りいたします。おめでとうございます!

「ブルームキッズ」は創立以来20代目のチームです。徳間ドッジボール愛好会は「徳間ドッジボールスポーツ少年団」に組織変更して6年目を終了したわけですが、

保護者の皆様には、これまで愛好会およびスポーツ少年団の活動を支え、ご支援ご協力をいただき、本当にありがとうございました。厚く感謝申し上げます。

 

この会は、今年度の愛好会の活動の総まとめの会でもあります。今年度の活動のまとめとして「原点回帰」というフレーズを挙げてみます。

「原点回帰」という言葉は、1月にブルームキッズが出場した「ドッジやろうぜ!杯」の今年のテーマでしたね。

常に原点に帰って自らの行動を反省する、チームの課題や問題を考える、・・・「そもそも私はなんでドッジボールというスポーツを始めたのか?」・・・常に初心に戻るという姿勢が大事だと思います。

徳間ドッジの原点は何でしょうか?

 

【原点1】結果が全てではなく、その過程が大事。今年のブルームキッズもドッジやろうぜ!杯準優勝、知事杯準優勝をはじめ、県内外の大会で素晴らしい結果を残してくれました。ブルームキッズの中心になってチームを引っ張ってくれた6年生、ありがとう!

【原点2】なるべく多くの指導者が集団で、そして連携して選手に関わって指導する。・・・お忙しい中を練習や大会引率・ご指導くださった監督コーチの皆さん(島田代表、三田村コーチ、小林聖コーチ、渡会コーチ、仲俣コーチ、鶴田コーチ、金子コーチ、青松コーチ、藤森コーチ、依田コーチ、熊井コーチ、永原コーチ)、ありがとうございました。

【原点3】大会に参加するだけでなく、大会を準備したり運営したりする。・・・女性審判員(小林ひとみさん、青松久美子さん、塚田亜紀子さん)、中高生のJr審判員(斉藤潔君、青松侑生君、宮下八雲君、小林果鈴さん、矢島冴子さん、林雄桂君、金子涼真君)、B級審判の藤沢さん、ありがとうございました。

【原点4】保護者の皆さんといっしょにチームを作る。…大会のたびに早朝よりご支援いただき、会場では観客席から一致団結した熱心な応援をありがとうございました。今年は保護者の皆さんに多数ご参加いただき、大人のドッジボール大会に出場できたこと・・・4チーム24人という参加数は大会一番でした。

保護者の皆さん、ありがとうございました。

 

そして、今年の最大の行事は「徳間ドッジボール愛好会創立20周年記念」を成功させたことです。記念式典・祝賀会ではなつかしい卒業生の皆さんの元気な姿を見ることができました。卒業生の皆さんがドッジボールの経験を生かして社会に出てからも様々な分野で活躍していること、とても頼もしく嬉しいことです。

OBの皆様に20万円をご寄附いただき、新ユニフォームを作製することができました。

また、南長野運動公園体育館では、「20周年記念ドッジボール大会」を開催することができました。県内外のチームの皆さんにご参加いただき、20チームで真剣勝負と友好交流ができました。ありがとうございました。

来年度からまた一歩一歩・・・30周年をめざして、現役チームだけでなく、卒業生および保護者の皆さんを含め、徳間の全員ドッジで一歩一歩進みましょう!

 

さて、お話はこれで終わりですが・・・、ここで算数の問題です。

6年生ひとりひとりに答えてもらいましょう!

けんと君・・・39+36+35+130+147+139=526(1年4月入会)

るか君・・・42+40+43+153+150+144=572(1年4月入会)

れお君・・・41+39+38+154+152+144=568(1年4月入会)

しゅん君・・・7+36+42+158+142+144=529(1月10月入会)

島りゅうと君・・・31+33+126+135+138=463(2年6月入会)

ゆうしん君・・・9+39+148+149+146=491(2年11月入会)

古りゅうと君・・・37+147+147+142=473(3年4月入会)

しゅんや君・・・35+157+147+142=481(3年7月入会)

りょう君・・・6+139+137+134=416(3年2月入会)

 

これは6年間の皆さんの「出席簿」を調べて計算した結果です。愛好会は1年間に何日練習していると思いますか? ちなみに、今年度(平成30年度)は149日でした。1年は365日ですから、その40%です。すごいですね。

 

私は「還暦」を過ぎて、今年はこの46日で、67歳です。君たちは私以上に可能性を持っています。自分の夢に向かって勇気を振り絞って挑戦してほしい。そして、数年後にまた徳間小学校体育館へ来てください。そして・・・、

「こんな夢を実現したよ・・・!」 という報告を待っています。

 

サクラ咲ケ 君の胸の中で  揺れてた 小さな つぼみよ

負けないように くじけないように今  歌うから

サクラ咲ケ ぼくの胸の中に  芽生えた 名もなき 夢たち

振り向くな 後ろには明日はないから  前へ 前へ ♪

 

いつまでも・・・、頑張れ! ブルームキッズ!

最後になりましたが、このような盛大な、そして心のこもった「6年生を送る会」を企画、ご準備いただいた在校生の保護者の皆様、とりわけ5年生の保護者の皆様に感謝とお礼を申し上げて、私のあいさつに替えたいと思います。ありがとうございました。

 

【後輩から送別の言葉】

本日は20代目の徳間ブルームキッズ6年生の皆様、ご卒団おめでとうございます。

僕は21代目の徳間ドッジボール愛好会の藤森新です。

この一年間、6年生とブルームキッズで一緒に戦えた事は僕たちの一生の思い出です。

特に、2月の全国をかけた知事杯、決勝古里戦では残り数秒の怖さを知り、その悔しさをバネにみんなで声を出し合い練習に励みました。

さよなら大会準決勝、サドンで古里に勝てた事は僕たち5年生にとって、とても自信になりました。

これからは徳間ブルームキッズで成し得なかった全国出場、全国制覇を目標に練習し、大会に臨みます。

6年生の皆さん、ほんとうにおめでとうございます。そして、ありがとうございました。

 

【卒業生の言葉】

ぼくがドッジボールを始めたのは1年生の時でした。2人の兄がやっていて楽しそうだなと思って始めました。12年生の時は「楽しく」をモットーにしてやりました。

3年生になってくると、勝ちを意識するようになりました。3年生のさよなら大会では、1位にはなれませんでしたが、2位になれたし、それで初めて個人賞をもらいました。すごくうれしかったです。

そして、4年生になり愛好会に入りました。今までとはちがいすべての練習がきつくなりました。始めは練習がやだなと思っていましたが、練習していくうちに体力もつきドッジボールがうまくなれました。ぼくはもっとうまくなりたいと練習が楽しみになりました。そんなふうに思ってるうちにあっという間に1年が過ぎていきました。

5年生になった僕は、今度はぼくたちが6年生を支える番だと思いました。そして、夏の県予選で優勝して初めて全国大会に出場しました。けれど大会当日、会場の雰囲気にのまれて自分たちの最高のプレーが出来なくて結果は予選落ちでした。

もうこんな思いをしたくないと必死に練習しました。そして全国大会出場をかけた知事杯がやってきました。その時はきんちょうよりどのような大会になるのか楽しみでした。けれどエースが体調不良でいつもより調子が出てませんでした。だからキャッチがふんばらないとだめだと思い、みんなで大きい声を出していつも以上に盛り上げていきました。その結果、優勝できました。

そして、全国大会当日、もう夏のような思いはしないといつも以上に集中してきました。予選は無事1位でとっぱできました。けれどトーナメント1回目に優勝したガッツクラブに圧倒的な実力差で負けてしまいました。すごくくやしくなりました。

そして、6年生になりました。ぼくがキャプテンになりました。チームが出来てすぐにデリシアカップがありました。トーナメント1回目に負けてしまいました。家に帰って本当にみんなをキャプテンとしてまとめられているか考え直しました。

そして、徳間は今年で20周年だったので、徳間の里20周年記念大会を開きました。そこで初めての選手宣誓をしました。すごくきんちょうしました。そして、その大会で優勝しました。すごくうれしかったです。

そして、知事杯ではキャッチがよく決勝までいけました。けれど、古里におしくも負けてしまいました。とてもくやしかったです。

そして、さよなら大会では1年間公式戦で1回も勝てなかった古里に勝てました。しかもその大会で優勝できました。本当にうれしかったです。最後にもうドッジボールができなくなるのは悲しいけど今まで僕たちを指導してくれた監督、コーチの皆さん、いつも応援して支えてくれた保護者の皆さん、そして6年間何から何まで全部やってくれたお母さんお父さん、本当に感謝しています。今までありがとうございました。

ぼくがドッジボールを始めたきっかけは、兄2人がドッジボールをしていて楽しそうだったから始めました。やってみると楽しくて、もっとやってみたいと思いました。

4年生になりフレンドリーから愛好会になると練習量や練習日も増えて4年生の時のランニングがきつかったのを覚えています。

5年生の時は夏春2回全国大会へ行き、強いチームといっぱい試合をやることができました。そして、いよいよ6年生になり副キャプテンを任されました。監督に言われた時、ぼくはみんなをまとめられるのかという不安がありました。そしてブルームキッズがスタートし、ぼくは外野も任されました。お父さんに「外野は攻げきの要だ。」と言われました。練習試合や大会で外野をやるうちに動きを覚えました。でも、カットがいるチームには最初はなかなか対処できませんでした。カットがいる時はスライドやカットといっしょに動いたりすればカットをかわせると言われました。

かんとくやコーチにいっぱいおこられたりアドバイスをもらったりして成長することができました。ぼくが一番心に残っている大会はさよなら大会です。理由は小学校生活最後の大会で、優勝できたからです。

最後にいろいろ指導してくださったかんとくやコーチのみなさん、また送迎してくれたお父さんお母さんありがとうございました。ぼくはドッジボールが大好きです。

ぼくがドッジボールを始めたきっかけは、みんなが楽しいと言っていて、みんなにさそわれたからです。最初はあまり入会する気がしなかったけど、体力づくりとして入ってみることにしました。これがぼくのドッジボールの始まりでした。最初の練習に行ってみると、意外と楽しいなと思いました。そこからフレンドリーでたくさんドッジボールを楽しみました。

そして、いよいよ愛好会に入りました。その時、ぼくの家は引っこしました。でも、やっぱり楽しかったからドッジボールをつづけました。愛好会では練習回数や練習時間が増えました。4年生の時ぜんぜん試合に出られませんでした。そのため4年生単独で出る大会がとても楽しみになりました。その一方で、練習はとてもつらかったです。ですが、そこでくじけずつづけたことが今の自分のためになっていると思います。

5年生の時、やっと試合に出られるようになりました。たくさん練習したおかげでアタッカーをやらせてもらえるようになりました。その時はうれしかったです。そこからもっと練習して夏春両方全国大会に出られました。とてもうれしかったです。

夏の全国大会では予選で負けてしまいました。くやしかったです。でも、その負けをバネにもっともっと一生けんめい練習をやりました。そのおかげか春の全国大会では予選1位で上がることができました。でも、決勝トーナメント1回戦でガッツクラブに負けてしまいました。ガッツクラブはとても強かったです。

そして、いよいよ自分たちの代がきました。さいしょはぜんぜんうまくできなくて、大会でも良い結果を残せませんでした。ですが、みんな一生けんめいに練習して日に日にレベルアップしていきました。そのかいあって新ユニフォームでのぞんだ徳間の里大会で優勝、ドッジやろうぜ!杯で準優勝できました。

そして、いよいよ知事杯が始まりました。どんどん勝ち進んで行きました。決勝までのぼりつめました。決勝の相手はライバル古里でした。1セット目はやっと古里に勝てました。2セット目は明らかに徳間の流れでした。だけどラストに外野から当たってサドンになりました。そして、相手のエースのボールに当たってしまいました。3セット目はやっぱり相手のエースのボールにたくさん当たってしまいました。そして、負けました。とてもくやしかったです。

でも、最後にさよなら大会で初めて古里に勝つことができて、うれしかったです。そして、ぼくのドッジボールが終わりました。

4年間で一番思ったことは、大会の後に学校に行くのがとても気まずかったです。でも、4年間が充実したものになって良かったです。みなさん、今までありがとうございました。

ぼくは3年生の3学期にドッジボールを習い始めました。きっかけはしゅん君がやっていたから、ぼくも楽しそうなので習いました。

初めはルールがよくわからなかったけど、塚田先生のおかげで少しずつわかってきて、こんなにもルールが深いとは思いませんでした。4年生になってぼくはまだ全部をわかった訳じゃないので、アウトプレーを初めてした時にびっくりしました。そして、試合をやっている時に、ルイ君のとても速い球を取った時はとてもうれしかったです。

5年生になってデリシア大会で優勝して、とてもうれしくて全国大会に行って初めてカラーコートを踏みました。結果は予選敗退でした。とてもくやしかったです。

知事杯になって、ぼくは前の6年生が全国大会に行ける最後のチャンスなので、行ってほしいと思って応援しました。見事優勝しました。そして次はトーナメントに上がれて、1回戦目はガッツクラブと対戦し負けてしまいました。とてもくやしかったです。

さよなら大会での決勝戦で、ぼくも出て東御スピリッツに何回も頭を当てられたけど、その分キャッチして優勝しました。

6年生になり、きん張と不安でいっぱいでした。デリシア大会では、予選を勝ち抜いてトーナメントに上がったけれど、1回戦目はブレイブ・キッズに負けてしまいました。

すごくくやしかったです。

徳間の里大会では、優勝してうれしかったです。全国大会に行ける最後のチャンスの知事杯では決勝戦まで行って、1セット目を取り、2セット目ではサドンデスになって、ぼくが当たってしまいました。ぼくはあの時取っていたらと、こうかいしています。

さよなら大会ではトーナメント中に古里をたおして決勝に行きました。決勝ではガリコに2セットストレート勝ちでした。最後の大会で勝てて、しかも3連覇できたので、うれしかったです。

僕がドッジボールを始めたのは、1年生の頃でした。きっかけは、お兄ちゃんがやっていて、おもしろそうだと思ったので入りました。

1年生の時は避げてるだけで楽しかったけど、2年生になると大会に出るようになり、とてもきんちょうしました。練習とはちがって速い球が飛んできて、怖くてとれませんでした。

3年生になると練習をつみ重ねて、前より上手になりました。大会でも優勝できるようになりました。

4年生になり、愛好会に入りました。今までの練習とは比にならないぐらい厳しかったです。フレンドリーよりはるかに速い球が飛んできて、全然とれませんでした。なので、基礎練習をしっかりやりました。

5年生になって初めて公式戦で試合に出ました。きんちょうしました。でも、4年生の時、基礎練習をしっかりやっていたので、そんなに当たりませんでした。そして、デリシア大会で優勝して全国大会へ行きました。全国大会では今までとはレベルがちがって全然勝てませんでした。知事杯でも優勝できて、全国大会にもう一度行けました。その全国では、トーナメント1回戦目で強いチームとあたり負けてしまいました。

6年生になって、自分達が主体となりました。いつもひっぱってくれた6年生がいなくなり、不安でした。そして、6年になっての県大会でとてもきんちょうしました。結果はトーナメント1回戦目で負けてしまいました。

知事杯では、絶対勝つぞと思いいっしょうけんめい練習しました。徳間の里20周年記念大会では優勝できました。初めてだったので、とてもうれしかったです。

そして、知事杯では今までの練習の成果を出すぞ、と思いながら試合にのぞみました。そして決勝までいけました。でも、おしくも古里に負けてしまいました。とてもくやしかったです。

最後の大会、さよなら大会では公式戦初、古里に勝てました。そして優勝できました。

最後に有終の美をかざれて良かったです。ここまで強くなれたのは、かんとくコーチのおかげです。今まで教えてくれてありがとうございました。

そして、僕達のサポート応援をしてくれた保護者の皆さん、大会、練習の送迎、何から何までやってくれたお母さん、お父さん、本当に今までありがとうございました。

ぼくはドッジボールをやって学んだこと、うれしかったことがあります。学んだことは2つ、うれしかったことは1つあります。

ドッジボールで学んだことの1つ目は、練習をすればその努力がむくわれて、最後には成功することです。なぜなら、3年生のころはまともに投げれませんでしたが、練習をがんばり最後には外野から相手を当てることができたからです。他にもキャッチがなかなかできませんでしたが、最後には肩口を見極められるようになりました。このように、努力すれば成功するということを学びました。

ドッジボールで学んだことの2つ目は、協力プレイです。ぼくは最初のころ、パスがずれたりし、キャッチができずに当たっていました。だから、みんなと協力して試合にいどむことができませんでした。でも、みんなと協力して勝ちたいと思っていました。その思いから練習をがんばり、試合を見て、協力とはどのようなことなのかを考えたりしました。そしたら声を出し、みんなと心を1つにするということがいかに大切かと思い、試合や練習の時はがんばって声を出すようにがんばりました。そしたらパスがうまくつながるようになったり、キャッチをしっかりとできました。このように協力プレイをすることの大切さを学びました。

うれしかったことは、さよならドッジボール大会のFive戦でカットを当てて、外野からもどれたことです。理由は2つあります。1つ目は公式戦で初めて当てることができたことです。なぜなら、これまで4年生の時にキッズジュニアとして1回しか当てたことがなかったからです。でも、これまでパス練習をがんばり、当てることができたからです。2つ目は、最後の大会で当てることができたからです。なぜなら、最後の大会で当てて内野にもどるというプレイをすることができたからです。

このようにぼくはドッジボールをやって学んだこと、うれしかったことをつくることができました。今までありがとうございました。

ぼくは1年生の1学期ぐらいにドッジボールを始めました。最初はボールがこわくて、にげてずっとステージにいて、練習を見ていました。今そのことを思うと、くいが残ります。

2年生になると下の学年が入るからといってぼくも一緒に練習に参加し始めました。ドッジボールで一番最初にボールをキャッチしたのが公式戦でのRYUKIDSのエースの球でした。そのボールをキャッチした時は、うれしくてたまりませんでした。

そして3年生になり、ぼくは公式戦での初めての外野をまかされました。最初できるか心配だったけど、やっているうちになれました。でも、あてるのはいいんだけど、内野にもどってもすぐにまたあたる時がありました。

そして4年生になりました。キッズジュニアでもぼくは外野をまかされました。アタックは相手の肩口を通せ、とたのまれて「外野はたいへんだなー」と思いました。ライトニングキッズの時は4年生なのに、るか君が試合に出てて「すごいなー」と思いました。

5年生になって、ぼくは最初の少しだけレギュラーになっていました。でも、ぼくは練習で骨折をしてぜんぜん練習に参加できませんでした。骨折がなおり最初の練習試合に出してもらったんだけど、ぜんぜんキャッチできませんでした。そして、その練習試合は終わりました。でも、ぼくはそのまま引きずらずに次の大会から気持ちを切りかえることができました。

デリシアカップはケガをしていて、試合に出れなかったけど、そのかわりにベンチで声を出して応えんしました。そして、夢の全国大会へ出場しました。でも、夢の全国大会もケガをしていて、また出れませんでした。

そして、知事杯になり、ぼくは決勝戦でキャッチができてうれしかったです。

6年生になり、徳間ブルームキッズになりました。まずブルームとは「開花・咲きほこる」という意味です。あすなろ大会では4位でした。そしてデリシアカップになって、「去年に引き続き連続優勝するぞ」と思いました。でも、トーナメント1回戦目でブレイブキッズにおしくも負けてしまいました。

そして、ドッジボール生活初めてのノーアウトの21世紀大会でした。でも次の大会の徳間の里20周年記念大会では、調子が乗らずにずっとあたってばかりでした。

そして、知事杯になり、どんどんと勝って行き決勝戦になりました。相手は古里です。1セット目は勝ち、2セット目はサドンでおしくも負けてしまい、3セット目もおしくも負けてしまいました。

最後のさよなら大会では、どんどん勝って行き、優勝しました。もうドッジボール生活に悔いはありません。

ぼくは2年生の終わり頃にるか君とれお君にさそわれてドッジボールを始めました。ぼくは始める前ドッジボールは遊びのものだと思っていました。けれど本当はしっかりとしたルールがあり、びっくりしました。この時、初めての大会で1本キャッチすることが出来て、うれしかったです。

3年生になり、だんだん練習も本格的になって、2年生と比べてきつくはありましたが、その練習を乗りこえ、大会でも今まで以上の力を出せ、また達成感があり、すごくうれしかったです。

4年生になり、もっと強くなりたいと思い愛好会に入りました。でも、力の差で全くかなわず試合に出れなくて悔しかったです。

5年生になり、クレストキッズでは、試合に多く出られることができ良かったです。全国大会にも行けてうれしかったです。けれど、全国大会では、大事なところで当たり、トーナメント次のステージへ進むことが出来ず、くやしかったです。

6年生になり、次は自分達でチームを引っ張っていく番になりました。2連覇できるようにとても強いチームになろうと思いました。

デリシア大会では自己管理も出来ず、体調不良で1試合も出れず、またチームを次の場所に進めるということが出来ず、トーナメント1回戦で負けてしまい、とてもくやしかったです。でも、それをバネに色々と練習内容など変わっていきました。そして、みんなとたくさんがんばりました。結果、良い成績や悪い成績がありましたが、勝ち進めることが出来、良かったです。

そして、いよいよ知事杯、今度こそ全国大会へ行くため気持ちを一つにして挑みました。予想外のことがあったり、苦しい試合もありましたが、みんなで支え合いながら戦いました。残念ながら気持ちの差で負けて、すごく悔しかったです。けれど、最後のさよなら大会では良い試合が多く、見事優勝することが出来、すごくうれしかったです。

そして、島田監督をはじめ、コーチや保護者のみなさん、OBのせんぱい達、ぼくたちをいつも見守り、ここまで成長を支えてくださり、本当にありがとうございました。

僕はの頃、玲穏君にさそわれてドッジボールを始めました。初めて練習に参加した時は、ボールが恐くて全然キャッチ出来なかったけど、練習を重ねていくうちに時々キャッチ出来るようになりました。初めて自分が出た試合では、正面だけれどしっかりキャッチ出来た事がとても心に残っています。

4年生からは愛好会に入って練習しました。愛好会の練習は辛く、ついて行くのがやっとでした。でも、もっと上手くなりたいから精一杯練習しました。するとキッズジュニアでの大会は入賞をくり返して嬉しかったです。

5年生では初めて全国大会へ行きました。でも、ガッツクラブに夏も春も春も敗けてしまい、とても悔しかったです。

ついに僕は6年生になりアタッカーを任されました。初めの頃はハンドキャッチも出来ず、一発を打てば全て正面に行ってしまいました。「これじゃダメだ」と思った僕は、駿君や裕真君たちと自主練習をしました。すると肩のコースや足元のコースをねらえるようになりました。ブルームキッズでは色々あったけど、特に心に残っているのは、「ドッジやろうぜ!杯」と「さよなら大会」です。ドッジやろうぜ!杯は、クレストの時、最後に僕があたって敗けてしまったので、準優勝という結果でも僕は嬉しかったです。「さよなら大会」は、初めて古里にちゃんと勝てた試合だからです。昭和や古里とのサドンデスではとてもきんちょうしました。でも、最後の大会を「優勝」という結果で終われてとても嬉しかったです。

色々な事を教えてくれた監督、コーチにとても感謝しています。来年は絶対に全国大会へ行って欲しいです。

 

壁面

式次第

在校生保護者

ブルーム入場

代表あいさつ

コーチあいさつ

乾杯

くす玉

送る言葉

6年生の作文

ひょっこりはん

チコちゃんに叱られるよ

卒業おめでとう

Tをさがしてみよう

???

大爆笑

大人チームの負けです

ブルームキッズ物語上映

母より

ユニフォームを5年生へ

のぼり旗の贈呈

激励の言葉

万歳

アーチで送る

 

 OB会で交流 

 

17日(日)夜、稲田徳間地区センターで恒例のOB会が行われました。

皆様、ありがとうございました。