No、677 20、3、21
愛好会通信
徳間ドッジボールスポーツ少年団
時間短縮の卒団式…
20日(日)、稲田徳間地区センターで6年生を送る会(卒団式)を行いました。今年は新型コロナウィルスの流行に対処するため、時間短縮で内容も簡略化して実施いたしました。
この会を準備し、運営してくださった保護者の皆様に感謝申し上げます。
【島田代表の言葉】 本日は徳間ドッジボール愛好会21代目「徳間クライムキッズ」9名の卒団生の為に、このような式を開催していただいたことに感謝申し上げます。 連日、報道されています新型コロナウイルスの影響がある中、指導者並びに卒団生、保護者の皆様にご出席していただき、大変嬉しく思っております。 9名の6年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。 楽しいこと、辛いこともあった数年間でありますが、先ずは・・・、 「最後までやり遂げた!」 このことに心から激励の言葉を贈ります。 チーム発足時、「常に登り続ける、一番上に登る」という願いを込めたクライムキッズ。 厳しい練習に耐え、頂に登りつめた6年生たちの姿は大きくたくましく、見えます。 ですが、今はまだ小さな山の頂に過ぎません。 これからより大きな山へ登ることになるでしょう。 ですが、この愛好会で培ったことを思い出し、新しい一歩を踏み出してください。 実力の差は努力の差 実績の差は責任感の差 人格の差は苦労の差 判断力の差は情報の差 真剣だと知恵が出る 中途半端だと愚痴が出る いい加減だと言い訳ばかり 本気でするから大抵のことは出来る 本気でするから何でも面白い 本気でしているから誰かが助けてくれる 失敗を恐れず、何事にもチャレンジすることが大切です。 「やればできる、やれば認めてもらえる、やれば変われる」 常に前を向いて、希望、夢を持ってこれからも頑張ってください! |
【塚田顧問の言葉】
クライムキッズの6年生の皆さん、卒業おめでとう! そして、保護者の皆様、お子さんのドッジボール生活からのご卒業に際しまして、心より祝福の言葉をお贈りいたします。おめでとうございます! 「クライムキッズ」は創立以来21代目のチームです。徳間ドッジボール愛好会は「徳間ドッジボールスポーツ少年団」に組織変更して7年目を終了したわけです。 保護者の皆様には、これまで愛好会およびスポーツ少年団の活動を支え、ご支援ご協力をいただき、本当にありがとうございました。厚く感謝申し上げます。 さて、クライムキッズの6年生に送る言葉として「一灯を頼め」というフレーズを挙げてみます。 この言葉は佐藤一斎(さとう いっさい)という江戸時代の儒学者の言葉です。 「一張の提灯を下げていれば、暗い夜道も暗い闇も怖がることはない。ただ自分の足元を照らす一つの確かな灯りを頼りにして歩いて行きなさい」という意味です。 今年の活動を振り返ってみるといろいろな困難や辛いことがありました。台風の被害で大会が中止になり、新型コロナウィルス流行によって練習や大会が中止…と、予想外の非常事態が続きました。 人生では自分にはどうすることもできない場面に出会うことが必ずあるものです。どうしたらいいか、不安や迷いの暗闇の中で嘆き悲しみ立ちすくんでしまう時、自分の足元を照らしてくれる灯りがあれば、どんなに心強いか分かりません。その灯りとなる信念や理想を持って一歩一歩進んでほしいものです。 今年度、どんなに不安定で苦しい状況でも「ぼくらはヒーロー、みんながエース」のスローガンの下、「愛好会の4つの理念(自主性・両立・集団指導・信頼)」という確かな灯りを持って、クライムキッズの選手が頑張り、それを監督コーチ・保護者の皆さんがしっかり支えていただいたことに感謝申し上げます。 さて、ここで算数の問題です。 6年生ひとりひとりに答えてもらいましょう! 林こうた君・・38+40+45+133+133+114=503/582(1年4月入会) 金子はやと君・・33+39+45+145+146+141=549/582(1年4月入会) 青松とわ君・・33+26+45+142+145+133=524/582(1年4月入会) 藤森あらた君・・16+33+40+121+146+140=496/567(1年8月入会) 町田るい君・・41+48+141+150+141=521/540(2年4月入会)96% 鈴木ゆうと君・・41+138+146+132=457/496 (3年4月入会) 鈴木けいと君・・46+138+143+134=461/496 (3年4月入会) 小林あゆと君・・40+107+115+130=392/496 (3年4月入会) 西川てつや君・・30+80+103+87=300/486 (3年6月入会) 練習日数・・・・42+44+48+149+155+144=582 ここに「ドッジボール練習の出席簿」があります。愛好会は1年間に何日練習していると思いますか? ちなみに、今年度(令和元年度)は144日でした。1年は365日ですから、その40%です。すごいですね。 クライムキッズの「クライム」とは?「登る」、「努力して高い所までよじ登る」という意味ですね。これからも高みを目指して自分の力の限り努力を続けてください。 そして、自分の夢に向かって勇気を振り絞って挑戦してほしい。そして、数年後にまた徳間小学校体育館へ来てください。そして・・・、 「こんな夢を実現したよ・・・!」 という報告を待っています。 いつまでも・・・、頑張れ! クライムキッズ! 最後になりましたが、このような心のこもった「6年生を送る会」を企画、ご準備いただいた在校生の保護者の皆様に感謝とお礼を申し上げて、私のあいさつに替えたいと思います。ありがとうございました。 |
【卒業生の言葉】
ぼくがドッジボールを始めた理由は1年生の時、保育園の友達にさそわれてフレンドリードッジへ入りました。その時は2年生、3年生の投げたボールがこわくて、何度もやめたいと思いました。それでももっと上手くなりたいと思い続けました。 そして、愛好会に入りました。ランニングや練習量がフレンドリーの時より全然ちがくきつかったです。 4年生の時、全国大会へ行き、いろいろな強豪チームの試合を見ました。パスの精度、キャッチ力、アタック力、全てがすごくて自分も全国へ行って強いチームと戦いたいという気持ちが高まりました。 5年生のころは県外遠征へたくさん行き、強いチームと戦って自分にとってすごく良い経験になったと思います。県外での泊まりもあり、チームの仲も深まったと思います。 6年生になったらクライムキッズのキャプテンをまかされました。キャプテンをまかされた時は、チームを引っ張っていけるか不安でした。けがや体調不良などで4・5・6年生全員そろっての練習があまり出来ず、試合でのチームワークが心配でした。それでもクライムが活動し始めた頃は、優勝・準優勝と良い成績を残せました。でも、その後はあまり良い成績が残せませんでした。ぼくは他のチームより練習への姿勢があまかったからだと思います。 大会では外野をまかされ、お父さんに「外野は攻撃の司令塔だ」と言われ、ばくはハンドキャッチ、ワンツーが遅かったので、そこを上手くなろうと思い、練習しました。その結果、相手に通用する攻撃になりました。それでも知事杯の準決勝は気持ちで相手に負けてしまいました。 ぼくはこの6年間ですごく成長できたと思います。 監督、コーチ、OB、チームメイトがいなかったら、ばくはここまで来れませんでした。そして、お父さん、お母さん、6年間応援、サポートをありがとうございました。 |
ぼくがドッジボールを始めたのは1年生のときでした。始めた理由は、兄がドッジボールをやっていたえいきょうもあって始めました。最初は飛んでくるボールが怖くてボールをキャッチすることができませんでした。けれど、何回も練習しているうちにボールが少し怖くなくなり、ボールをキャッチすることができました。そして、3年生になったらボールがほとんど怖くなくなり、速いボールもキャッチすることができるようになりました。でも、大会では、きんちょうしてしまってボールが取れず、当たってしましました。 でも、たくさん練習して4年生の大会では、たくさんキャッチできるようになりました。そして、その年に全国大会へクレストキッズが出場することになったのでついて行きました。全国レベルの試合を見て、自分もこの場所で試合をしたいと思いました。 そして、6年生になり全国に行けるように必死に練習をしました。全国大会に行けるのは夏と春で、特に心に残っているのは春の全国予選の知事杯でした。夏は予選落ちしてしまい、全国に行けるのはあと1回だったからです。 知事杯のトーナメントでは初戦にガリコと試合をして勝利しました。次は準決勝でSAKURAと対戦しました。3セットマッチなので1試合目と2試合目は負けてしまい、準決勝で敗退してしまいました。3位決定戦では気持ちが切り替えられず負けてしまい、結果は4位でした。とてもくやしかったけど、ここまでこれたのは監督コーチが指導して導いてくれたからです。今まで本当にありがとうございました。 |
ぼくがドッジボールを始めたきっかけは、お兄ちゃんの影響です。お兄ちゃんがやっていて、あんなかっこいいプレーをしたいと思い入団しました。 1年生、ルールも知らず塚田先生に教えてもらって楽しくドッジボールを始めました。 2年生、ルールを覚えて、投げるのも上手くなってきました。そして、大会では1〜3年生の部に初出場したのもこの年でした。色々な経験をしました。 3年生、自分はキャプテンでした。今度はアタッカーとして相手を当てるのも練習するようになりました。そして、初大会のドッジリーグで準優勝という良い成績でした。でも、予選リーグで1位なのにトーナメント1回戦負けの大会が多くありました。 そして、3年最後のさよならドッジ大会では順調に勝ち進み、予選1位で上がることができました。そして、課題のトーナメント1回戦、1点差で勝ち、2回戦も勝ち、強かった東御にも勝ち、決勝に進みました。千曲との決勝は1点差で勝利して優勝することができました。とても良い経験をさせてもらいました。 そして、初の愛好会、ドキドキ、ワクワクしながら練習が始まりました。練習はすごくきつくて、ついていくのもやっとでした。そして、デリシア杯、知事杯はベンチに入ることができ、全国大会にも当時の5,6年生が連れて行ってくれて本当に良い経験をさせてもらいました。 5年生、自分たちも試合に出る立場になって、もっと練習をがんばりました。デリシア杯では、ベスト8という結果で終わり、くやしい気持ちでした。そして必死に練習をしていき、知事杯の2週間くらい前に骨折をしてしまいました。試合に出れなくてくやしかったけど、ベンチから大きな声で応援しました。チームの成績は惜しくも2位でした。来年は絶対全国へ行く!という気持ちで練習に取り組みました。 6年生、いよいよチームを引っ張っていく立場となりました。最初の大会あすなろ杯ではあまり良い成績をおさめることができませんでした。そして、いろいろな大会で2位や3位、優勝などを重ねて、チームはまとまっていきました。でも、デリシア杯では自分たちの力を出し切ることできなかったので、知事杯でリベンジをすると決め、練習にはげみました。 そして迎えた知事杯、1試合目から引き分けでモチベーションも上がってきて、予選1位でした。トーナメント1回戦は僅差で勝利して、準決勝はSAKURAとの対戦でした。1セット目が1点差で敗れ、その後も負けて敗退してしまい、とてもくやしかったです。 コロナウィルスのためにいろんな大会が無くなってしまい残念ですが、とても良い6年間でした。このドッジボールを忘れず、これからもがんばりたいと思います。 6年間支えてくださった保護者の皆さま、かんとくコーチの皆さま、本当にありがとうございました。 |
ぼくは兄のえいきょうで1年生からドッジボールを始めました。ボールがこわくて、何が楽しいのかなって思うのが続いていました。だけど、兄が試合に出ているところを見た時に、「こんなふうに勝てたらカッコイイなー」とワクワクした気持ちが出てきました。 とちゅうで転校したり野球に行ってしまったりした仲間もいたけど、クライムキッズになるまで一緒にドッジボールを続けてこれた仲間は大切です。みんなとたくさん笑ったし、練習や試合で声をかけ合えたことで、ぼくはここまでやってこれました。 1年生から6年生まで楽しいドッジボールを教えてくれた塚田先生や指導者のみなさん、支えてくれたお父さん、お母さん、応援してくれた人達へありがとうの気持ちでいっぱいです。 中学校へ行ってもがんばります。ありがとうございました。 |
ぼくがドッジボールを始めたのは3年生の4月でした。始めたきっかけは藤森コーチにさそわれて体験にいってみるととても楽しかったからです。 はじめてキャッチしたときのうれしさは今でも忘れません。 4年生になり、愛好会に入りました。3年生の試合とはぜんぜんちがって、とてもおどろき、さらにボールが怖いという気持ちがありました。でも、練習していくうちにだんだん慣れてきて、キャッチをすることがとても楽しくなりました。 5年生になり、D1の試合にフル出場するようになりました。でも、全国大会に出場することができず、くやしかったです。 そして、6年生になり、チームを引っ張る立場になりました。最初はチームを引っ張っていけるかとても不安だったけれど、だんだんと慣れていき、5月の高崎シティカップでは準優勝することができました。そして、デリシアカップをむかえました。予選敗退で終わってしまい、とてもくやしかったです。その悔しさを忘れず、知事杯で勝つためにがんばって練習しました。 そして知事杯をむかえました。しかし準決勝で負けてしまい、夏のリベンジをはたすことはできず、とても悔しかったです。 最後に、塚田先生をはじめ、島田代表、小林監督、コーチのみなさん、指導していただきありがとうございました。 そして、お父さん、お母さん、保護者のみなさん、今までぼくたちを支えていただき、ありがとうございました。 |
ぼくがドッジボールを始めたきっかけは、2年生の時、徳間小学校へ転入して来る前、転入したらどんなスポーツをしようかと迷っていたときお母さんにドッジボールをすすめられたことです。前の学校でも友達とよくドッジボールをやっていたので、体験しに行きました。 初めはルールが全然分からなかったけれど、とても楽しかったので入ることにしました。 ぼくが一番思い出に残ったことは5年生の時の二十一世紀大会の昭和戦です。ぼくはその時レギュラーではなかったので、その試合は他の子と交代して出ました。そこでいつもどおりディフェンスをしていたら4回もキャッチすることができました。 このように活躍できたのもサポートしてくれた監督、コーチ、お父さん、お母さんのおかげです。今まで支えてきてくれて、ありがとうございました。 |
ぼくがドッジボールを始めたのは、3年生の時でした。ふじ森コーチにさそわれて入りました。体験会に行ったときに初めてアタックを決められて、ドッジボールってたのしいんだなぁ、と思いました。 3年生の初めての大会で3位を取れました。とてもうれしかったです。 4年生になり愛好会へ入りました。さよなら大会でいつも負けていたファイブとあたり、もう少しで勝てたので、とてもくやしかったです。 5年生になり最初の方はあまり試合に出れませんでした。でも、後半になってだんだん試合に出られるようになりました。知事杯では決勝までいき、2セット目のぼくのミスがきっかけで負けてしまったので、今までで一番くやしかったです。 6年生になり、チームを支える番になりました。デリシアカップでは1本もキャッチできず、予選落ちで終わりました。それをバネにのぞんだ知事杯では、あまりとることが出来なかったSAKURAの4番のボールをとることが出来たので、とてもうれしかったです。だけど2−0で負けてしまったので、夏のリベンジをはたすことが出来ませんでした。 最後に、かんとく、コーチ、お父さん、お母さん、そして、塚田先生、この4年間ありがとうございました。 今年は台風やコロナウイルスなどで大会が中止になったり、練習が出来ないことがたくさんありました。さよなら大会もやりたかったです。これから先も色々なことで思い通りにならないこともあると思います。でも、何事も一生けんめいがんばっていきたいです。4年間本当にありがとうございました。 |
僕がドッジボールを始めたのは2年生のころです。児童センターでドッジをやっていて、楽しかったのと、学校からもらったチラシを見て楽しそうだったので、練習を見に行きました。 練習に参加して、ジャンプボールをやらせてもらって、キャッチができると楽しかったので入ることにしました。 初めて3年生といっしょに出た大会ではすごくきんちょうしました。その大会で優勝できたのでうれしかったです。 3年生のさよなら大会では、優勝できたのがうれしかったです。 6年生の時に出た知事杯では、予選1位上がりでトーナメント1回戦は相手がガリコでした。ぼくはあたってしまったけど、外野で声を出してがんばりました。外野のフォローでは練習試合の時はじいていたけど、しっかりフォローができたので試合は1点差で勝てました。とてもうれしかったです。 準決勝はSAKURAでした。1セット目はおしくも1点差で敗れてしまいくやしかったです。2セット目も負けてしまいました。全国大会へ行けなくてくやしかったです。全国大会へ行けなかったけど、長野県でベスト4という結果を残せたのは、うれしかったです。 最後に、ぼくは耳が聞こえずらいけど、ドッジボールの中でかんとく、コーチの皆さん、保護者の方々、そしてチームメイトに支えられドッジボールができたことに感謝します。 ありがとうございました。 |
ぼくがドッジボールを始めたキッカケは、徳間小学校に転校してきて友達もいなく、さみしかった時に偶然徳間ドッジボールのことを知ったからです。1回見学をしてみたら、監督・コーチが子どもとみんな一緒に楽しく練習していたので、楽しそうだと思って入りました。 4年の時に徳間クレストキッズの先輩たちが全国大会へいっていたのを見て、自分も全国大会へ行ってみたいなと思いました。しかし、それは簡単なことではありませんでした。 自分が5年生の時、徳間ブルームキッズの時にデリシア大会でベスト8になり全国大会へ行けませんでした。その後、猛練習して知事杯にのぞみました。すごく練習したので今度こそ優勝できると思いましたが、あと一歩の所で届かず準優勝になりました。 残念でしたがさよなら大会では古里をこして優勝できました。 そしてついに6年生になりました。6年生の1回目の練習はあまりきつくはなかったけれど、なぜかきんちょうしてとても疲れたのを今もまだ覚えています。それから練習がどんどんきつくなって行きました。そしてデリシア大会になり、試合をしましたが予選敗退してしまいました。とてもくやしかったです。 その後は知事杯に向けて練習をしました。その間色々なことがありました。台風の被害で大会や練習が中止になったりしました。 そして、知事杯になりました。今度こそ行けるような気がしました。チームの仲間達からもそのような気持ちが伝わってきました。しかし、予選はとても良かったけど、トーナメントでSAKURAとあたり、おしくも4位になってしまいました。さよなら大会で試合をして勝ちたかったけど、肺炎のことで中止になってしまいました。とても残念です。 最後にこうしてドッジボールができるのも保護者の皆さん、監督コーチの皆さん、チームの選手の皆さんのおかげだと思っています。本当に感謝しています。 4年間本当にありがとうございました。 |