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 愛好会通信 

徳間ドッジボールスポーツ少年団

 エクシードの卒団式 

 

20日(土)、稲田徳間地区センターで6年生を送る会(卒団式)を行いました。この会を準備し、運営してくださった保護者の皆様に感謝申し上げます。

 

【島田代表の言葉】

まずはじめに、本日の6年生を送る会を開催するにあたり、準備された在団生・保護者の皆様に厚く御礼を申し上げます。

6年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

22代目の徳間エクシードキッズの選手の皆さん、昨年のこの時期、この会での姿とは一回りも二回りも大きくたくましくなりました。

練習日に遅れて学校に到着し、車から降りようとすると、駐車場まで響く大きな声。その声をBGMに心をウキウキさせながら靴を履き準備をする。体育館に入る前に確認、綺麗に揃った靴、いざ体育館の扉を開けると、中から気迫で押し戻されるほどの真剣な練習風景が広がっていました。あの練習風景が見られなくなることがとても残念です。

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今ここに並んでいる選手たちが1年生の時、ちょうど私が徳間ドッジボール愛好会の代表に就任した年でもあります。そこからフレンドリーの練習へも参加するようになりまして、当時の様子を思い浮かべた時がありました。ですが・・・どうしても2名の選手しか思い出せません。(HくんとSくんです)

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今年も、新型コロナウィルスの影響で練習が制限され、大会は開催されず、学校までもが休校になるなど、非常に歯がゆい思いをしたことでしょう。ですが、君たちだけでなく他のチームも同じです。世界のみんなが同じです。今は耐える時。

「堅忍不抜」という言葉を知っていますか? この言葉は私の座右の銘でもあるのですが・・・ 堅忍不抜、辛いことに負けず、がまん強く心を動かさないこと・・・、

今は耐え忍ぶことです。いつか自分を大きく輝かせるその時まで。

最後になりますが、保護者の皆様、選手たちを今まで支えてくださり本当にありがとうございました。徳間の長い歴史の1ページに彼らものることになります。ぜひ、誇りに思ってください。卒業生の新たな門出、ご健勝とご活躍をお祈り申し上げ、挨拶とさせていただきます。

 

【塚田顧問の言葉】

エクシードキッズの6年生の皆さん、卒業おめでとう!

そして、保護者の皆様、お子さんのドッジボール生活からのご卒業に際しまして、心より祝福の言葉をお贈りいたします。おめでとうございます!

「エクシードキッズ」は創立以来22代目のチームです。徳間ドッジボール愛好会は「徳間ドッジボールスポーツ少年団」に組織変更して8年目を終了したわけですが、保護者の皆様には、これまで愛好会およびスポーツ少年団の活動を支え、ご支援ご協力をいただき、本当にありがとうございました。厚く感謝申し上げます。

今年度は新型コロナウィルスの流行によって大会が中止されたり、ドッジボール活動が大幅に制限されたり、私たちにとっては辛く苦しい年だったと思います。学校も休校になり、みんなが集まって話すことすらできない時期もありました。

世の中には自分の力ではどうしようもない困難がある。「あたりまえに学校へ通える」「あたりまえにドッジボールが体育館でできる」と思ってきたことが、実は「あたりまえ」ではなかった。・・・そんなことを実感したと思います。

 

ここでエクシードキッズの6年生の皆さんに清水英雄さんの「ありがとう」という詩を贈ります。

辛いことが起こると 感謝するんです これでまた強くなれると ありがとう

悲しいことが起こると 感謝するんです これで人の悲しみがよく分かると ありがとう

ピンチになると 感謝するんです これでもっとたくましくなれると ありがとう

辛いことも 悲しいことも ピンチも乗り越えて 

生きることが人生だと 言い聞かせるのです 自分自身に

そうすると ふっと楽になって 楽しくなって 人生がとても光り輝いてくるんです

ますます光り輝く人生を ありがとうの心と共に

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エクシードキッズの「エクシード」とは?「超える」、「卓越する」、「優る」という意味ですね。君たちがドッジボール生活を通して身につけた力によって、これからも苦しいことや悲しいことを乗り越え、自分が直面する難題、壁を超えていく、自分が他の人より優る分野を見つける、これからもさらなる努力を続けてください。

そして、自分の夢に向かって勇気を振り絞って挑戦してほしい。そして、数年後にまた徳間小学校体育館へ来てください。そして・・・、

「こんな夢を実現したよ・・・!」 という報告を待っています。

 

さて、お話はこれで終わりですが・・・、ここで算数の問題です。

6年生ひとりひとりに答えてもらいましょう!

塚田陽輝君・・434346142147119540/566(1年4月入会)95%(+幼8

宮尾宗佑君・・16424394138122455/541(1年10月入会)84%(+幼1

熊井康介君・・143743142149126511/537(1年11月入会)95

北山慶和君・・354210213186396/512(2年6月入会)77

金子隼大君・・40142139121442/474(3年4月入会)93

依田幸樹君・・44136141126447/474 (3年4月入会)94

高山健冴君・・38137139122436/470 (3年5月入会)93

練習日数・・・・45+47+47+148+150+129=566

 

ここに「ドッジボール練習の出席簿」があります。愛好会は1年間に何日練習していると思いますか? ちなみに、今年度(令和2年度)は新型コロナの影響で少なくて129日でした。それでも1年は365日ですから、すごいですね。

 

最後になりましたが、このような心のこもった「6年生を送る会」を企画、ご準備いただいた在校生の保護者の皆様に感謝とお礼を申し上げて、私のあいさつに替えたいと思います。ありがとうございました。

 

 

【卒業生の言葉】

ぼくは3年生の時にドッジボールを始めました。始めたきっかけは兄の影響で始めました。フレンドリーの頃は県外のチームを見に行ったりして勉強しました。その結果、さよなら大会で優勝できたので、よかったです。

5年生になり初めての大会で外野をやりました。この外野はとてもいい経験になったしこの経験を6年になった時のアタックに活かしていきたいと思いました。アタックもがんばったけど、キャッチをしっかりと取ってレギュラーに入れたので良かったです。ついに知事杯になり、準決勝まで勝ち進んだけど負けてしまいました。とても悔しかったです。

6年生になり、去年の借りをかえそうと思ったら、新型コロナウイルスの影響で練習ができませんでした。大会もなくてこの先不安でした。2ヶ月ぐらい休校で全国大会もなくなるふんい気でした。でも、家で自主練習などをしっかりして、体力が落ちないようにしました。

練習が始まってキャプテンをまかされたり、外野をやったりして最初はとても大変でした。でも、それを支えてくれたチームメイトやかんとく・コーチが声をかけてくれたり、とても助かりました。練習試合もなくて練習のみだったけど、4年生たちとチームワークを深めていきました。

ついに知事杯の日がやってきました。予選はみごと1位上がりで準決勝まで進めましたが、負けてしまってとてもくやしかったです。この次に3決があったけど気持ちが切り変えれずに負けてしまいました。去年の借りをかえせなかったし、全国に行けない悔しさでずっと涙が止まりませんでした。でも、次の大会に4連覇がかかったさよなら大会があって、気持ちを切りかえました。

さよなら大会当日になって、予選からチームのふんい気が悪くて3位でした。トーナメントに入ってもふんい気を変えることができず、負けてしまいました。

ドッジボールをふり返ってみると、辛いことが多かったけど、チームメイトと支え合いながら乗りこえてこれたと思います。キャプテンとしては未熟だったけどキャプテンができて良かったです。

3年間、かんとく・コーチご指導ありがとうございました。そして、お母さん、お父さん、保護者のみなさん、支えてくれてありがとうございました。

ぼくがドッジボールをはじめたきっかけは、昭和の森公園で遊んでいた時に、そうすけ君とはるき君に出会ってさそわれて小学2年生からはじめました。

始めた時は自分の思うようにいきませんでした。けれどもコーチに言われたことができた時、キャッチができた時、当てられた時がとてもうれしかったし、とても楽しかったです。

ぼくが小学3年生になって副キャプテンと外野をまかされました。けれども、最後のさよなら大会前日に骨折してしまい、とてもくやしい思いをしましたが、チームは無事に優勝することができて良かったです。

そして4年生になって愛好会に入りました。愛好会ではわからないことがあったり、きつかったりしました。けれども、いっしょうけんめいにがんばりました。キッズジュニアでは、1位などとれませんでした。けれども、このキッズジュニアで学べたことがたくさんありました。

5年生ではレギュラーで試合に出ました。(守備の)右はじとと左はじと真ん中をやりました。はじは、タイミングがあわないと当たってしまうので、とても難しかったです。けれども、はじのボールを捕りにいって、捕れたときはとてもうれしかったです。デリシア大会では予選落ちで悲しい結果になったけどとてもがんばりました。

そして、知事杯では4位で終わりました。とてもくやしい思いをもって6年生になって副キャプテンをまかされました。今までとはちがって周りの4年生に教えたりしなくてはならなくてとても大変でした。けれども、4年生もいっしょうけんめいにがんばってくれて、やりがいを感じました。チームの名前のとおりにはいかず、去年の4位の記録を越えられませんでした。でも、このチームを通して学べたことがたくさんありました。いままで支えてくださったかんとくやコーチや保護者のみなさん、今まで支えていただきありがとうございました。

ぼくがドッジボールを始めたきっかけは、1年生の時に島田代表にさそわれて入りました。1、2年生の頃は、徳間小学校の外や体育館のギャラリーで友達とおにごっこなどをして遊んでいました。3年生になり、試合でも入賞を取る事が出来ました。一番心に残っているのは、さよなら大会でラスト10秒になった時、隼大くんが外野からカットで取って自分にパスが回って来て自分が当てて外野から帰って来た事でした。その大会で優勝するここが出来たので、うれしかったです。その後にクレストが全国大会に行って、ぼくも見に行きました。他県のチームはパス回しが速くコースをねらって当てていて、ぼくもこんな風になりたいなと思いました。

自分達は3年生の時から愛好会の練習に参加していて4年生になって正式に愛好会に入りました。入った当時は練習がとてもきつくて、くじけそうになりましたが、仲間がいたからがんばる事が出来ました。

4年生の時、知事杯を見ていて思った事は、こんな広い体育館でやれるんだと思いました。5年生になり、皆と混ざって練習をしました。34年生の時は、試合をやっても相手のチームだったけど5年生になり6年生と一緒にプレーをする事が出来て、とてもうれしかったです。OBの球は速くてこわくてキャッチの時に手が出てしまって、すぐに外野に行ってしまったけど、どんどん練習するうちにボールが取れるようになりました。そして、初めて知事杯に出る事が出来ました。自分が取った時や仲間が取ったり当てたりした時には、自分から大きな声を出して喜ぶ事が出来てとてもうれしかったです。ですが、残念ながら4位という結果になってしまい65年生皆が泣いていました。自分もキャッチが出来ませんでした。とても悔しかったです。

6年生になってエクシードという名前にぼくは誇りを持ちました。それは自分達が先頭に立つという事に誇りを感じました。それなのに始まってすぐに休校となり体育館が使えず、ドッジボールも出来なくなってしまいました。その原因はコロナウイルスです。今まで普通に出来ていた事が出来ずにとても悲しかったです。だけど数少ない大会・練習試合を大切にプレーする事が出来ました。知事杯、さよなら大会では、自分達の攻撃や守備がうまくいかずに負けてしまいました。とても悲しかったです。

ここまでドッジボールを続けてこれた理由は、仲間や保護者の皆さんやコーチや監督のおかげです。そして、ここまで色々な面で支えてくれたお父さんお母さん、ありがとうございました。これからもがんばります。

ぼくが最初にドッジボールをはじめたのは、3年生のころでした。ドッジボールをやっていた人にさそわれてドッジボールに入りました。本当に最初はぼくが知っているドッジボールじゃなくてびっくりしました。「ドッジボールって練習するんだ」「大会もあるんだ」と自分はその時その事を初めて知りました。それから初めての大会で、ぼく達は全くドッジボールのルールを知らずに大会にいどみました。初めての大会できんちょうしたりして7位ぐらいで終わりました。

その大会は上の部や下の部があり、ぼく達は次の大会は下の部でやる事になりました。ぼく達はその大会でたくさん負けて悔しくて、たくさん練習にはげみました。そしたら3年生のさよなら大会では、今まで初の優勝をしました。その時はとてもうれしかったです。その優勝した後も練習をたくさんしました。土曜日の練習は愛好会でもやり、平日もしっかり練習しました。その後、ぼく達3年生最後の大会をやりました。決勝トーナメントまで行きました。1発目の相手は松本バージョンアップとあたりました。最初は勝っていたり負けたりしましたが、同点のところでタイマーがなりました。Vポイントゲームがそこではじまりました。ジャンプボールはとってくれたけど最終的にキャッチされ相手のパスカウントが4になった時、自分にアタックされてあたってしまいました。それで、松本バージョンアップに負けて、ぼく達3年生の活動は終わりになりました。その時は、とてもくやしい思いをしました。

そして、ぼく達は4年生になりました。みんな愛好会に入り練習しました。ですが、自分が思ったよりもとても練習はきつかったです。4年生になって、ぼく達はキッズジュニアとして一つのチームを作りました。キッズジュニアでも相手は6年生やD1のチームでした。でも、自分達の上といっしょに練習していくうちに良い成果を出していきました。

そして、5年生になりました。最初は6年生たちに「声を出せ」とかおこられてばっかでした。ですが、最初の群馬での大会は2位でした。夏の全国大会予選では予選敗退をして、とてもくやしかったです。そして、リベンジの知事杯は予選上がりし、しっかりトーナメントに進みました。1回目も勝ち、2回目はデリシア優勝したSAKURAとあたりました。1回目は1点差で負け、2回目はボロ負けをし、とてもくやしい結果で終わりました。

そして、自分達の代のエクシードキッズが始まりました。ですが、コロナのせいで春の練習や大会がたくさんなくなりました。でも、あるていどコロナがおさまったころにちゃんとした練習が始まりました。ひさびさの練習でとてもつかれました。でも、しっかり練習していきました。そして、デリシアが近づいてきました。ですが、たくさん練習してきたけどデリシア大会もなくなってしまいました。でも、まだチャンスはあったので知事杯優勝のためにまた練習をがんばりました。そして、10月ぐらいにこのチーム初の「きときと杯大会」に出場しました。キャプテンや副キャプテンがいない11人の中で戦いました。準決勝まではいきましたが、そこで負けてしまいました。3位でしたが、もっとがんばろうと思い、知事杯まできつい練習やたくさんの練習試合をしてきました。

そして、ついに知事杯当日になりました。そして、1回目は昭和とあたりました。自分はそこで間があいていてあたってしまったけど、ぎり1点差で昭和に勝ちました。次はセリタと戦いました。1回目は、自分もあたってキャッチができないで負けて、2回戦目はあたってもマイボールにできないで負けてしまいました。これで自分達の全国に行く目標はなくなってしまいました。とてもくやしい本当に練習していた成果を出せたのかなと思いました。

4年間きつい練習や苦しかったことがあったけど勝つ事は楽しかったです。本当に今までかんとくコーチ、保護者のみなさんありがとうございました。

ぼくがドッジボールを始めたきっかけは、兄がドッジボールをやっていて、それを見てやりたいと思い、年長からやり始めました。1,2年生のときは、そうすけ君あそんでいてやる気がまったくありませんでした。3年生になって、大会などがあり出れるようになり、さよなら大会でゆう勝できました。

4年生になり、愛好会に入るにつれ練習がきつくなり、やめたいと思うことが毎日のようにありました。大会も6年生とたたかうようになり、なかなか勝つことがありませんでした。

5年生になり、6年生といっしょに大会に出れるようになったけど、ベンチでずっとおうえんしていてし合いには出れなかった。

6年生になり、自分たちがチームをひっぱるようになった。さいしょは自分たちがひっぱっていけるかしんぱいでした。3年生から言いつづけていた目ひょうの全国大会出場をかけた知事杯はじゅんけっしょうで負けてしまい、全国大会出場の目ひょうがなくなってしまいました。けっかは4位でした。とてもくやしかったです。

ぼくは、こんなさいこうな仲間がいてくれてよかったと思いました。中学にいってもあきらめずさいごまでつらぬきとおしたいです。

ぼくがドッジボールを始めた理由は、1年生の時にはるき君にさそわれたからです。はじめは、はるき君たちと遊んでばかりでしたが、3年生からは練習をするようになりました。

4年生になり、愛好会になってからは速いボールが来て、いたくてこわかったです。でも、とった時のうれしさなどがたくさんありました。

5年生になったころは、レギュラーにはなれませんでしたが、知事杯ではレギュラーとして大会に出れました。そのときはとてもうれしかったです。

6年生になってからは、新型コロナウイルスのためにいろいろな大会が中止になり、知事杯もできるか心配でした。ですが、できるとわかりうれしかったです。

知事杯は良い流れで予選は勝てました。決勝トーナメントはせりたに負け、3位決定戦で座光寺にも負けてしまいました。去年をこえるつもりでやりましたが、勝てませんでした。とてもくやしかったです。

エクシードキッズとして最後の大会、さよなら杯がありました。知事杯で負けてしまったセリタと予選であたりました。勝つことができてよかったですが、他のチームに負けてしまい、予選は3位でした。決勝トーナメントでは古牧に負けてしまいました。すごくくやしかったです。

ぼくはこの6年間であきらめない気持ちやあいさつ、いろいろなことが成長できました。それは、監督、コーチ、OB、チームメイトたちのおかげです。ありがとうございました。

ぼくは、3年生のころドッジボールを始めました。始めたころはあまりキャッチもアタックもぜんぜんうまくありませんでしたが、練習に行くごとに少しずつうまくなって3年生のさよなら大会で優勝して、1回もあたらずに終われたのはやっぱり練習のせいかを出しきったんだなと思いました。

3年生の最後に愛好会のドッジボールに入ったらフレンドリーの時とはちがって練習メニューが少し変わっていて、きつい練習でした。クレストは球が速くて全国大会にいっているころだったので、とても練習の試合に出るのがとてもこわかったです。

そして、4年、5年となって、ぼくたちエクシードキッズになって、しっかり4・5年をひっぱっていくじきになりました。

でも、今年はコロナウイルスでさまざまな大会が中止になりましたが、練習試合や交流試合などができて、とてもうれしかったです。11月に今年さいしょにやった「きときと杯」では、キャプテン、ふくキャプテンがいなくてフルメンバーではなかったけど、それでも自分たちでなんとか3位という結果、しかも初めてのメダルをとったのでうれしかったです。

ぼくたちのもくひょうは、チーム一丸となって全国大会しゅつじょうでした。よせんは1位でしたが、トーナメントで昭和には勝てましたが、セリタにセットカウントが0対2で負けてしまい全国大会に行けなかったのがとてもくやしくて、3決でもサドンデスでしっかりアシストできなくてくやしい結果になってしまいました。

さよなら大会では、上の代のOBたちが3連ぱしていてぜったいに勝ちたい、4連ぱしたいという気持ちが入っていました。よせんは3位でBリーグ2位の古牧とあたってトーナメント1せん目で負けてしまいました。さよなら大会で4連ぱできずに、くやしいけっかでおわってしまいました。

こうやって苦しいコロナのじきでも大会ができたことにドッジボールきょう会やかんとくコーチやほごしゃのおかげでこうやってメダルもとれたので、かんしゃしています。これからもがんばっていきたいです。クライムをこえられなかったけど、1年間おうえんしてくれたり、見守ってくれてありがとうございました。

 

トロフィー、賞状

6年生入場

くす玉

代表あいさつ

4,5年生のダンス

卒業おめでとう!

記念品贈呈

6年生作文発表

エクシードキッズ物語上映

ママさんキッズ

ユニフォーム返還

親子で記念写真