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 愛好会通信 

徳間ドッジボールスポーツ少年団

 ユナイトキッズの卒団式 

21日(火祝)、稲田徳間地区センターで6年生を送る会(卒団式)を行いました。この会を準備し、運営してくださった保護者の皆様に感謝申し上げます。

 

1、      卒団生入場

2、      開会の言葉

3、      代表挨拶

4、      顧問挨拶

5、      乾杯

6、      くす玉でお祝い

7、      四・五年生のステージ

8、      おやじキッズからの激励

9、      卒団生挨拶

10、   ユナイトキッズ物語上映&ママさんキッズ

11、   記念品贈呈

12、   監督挨拶及び新チーム紹介

13、   ユニフォーム返還式

14、   記念写真撮影

15、   万歳三唱

16、   閉会の言葉

17、   卒団生退場

 

【代表の贈る言葉】

徳間ドッジボール愛好会24代目、徳間ユナイトキッズの卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます!

また、この季節がやってきました。春は旅立ちの季節。今年度は10名の卒業生を送ることとなります。

先代、クラージュキッズから更なる活躍を誓ったあの日から、早いものでもう1年が経ちます。低学年からドッジボールに打ち込んできた君たちの立派に成長した姿を見て、私はとても感激しています。

ユナイトキッズとは「団結・結束」という意味です。全国大会を目指す厳しい練習とライバルチームとの真剣勝負、そして自分との戦いの毎日でしたね。

ボールが怖くて練習に参加できなかった時、試合に勝てずに落ち込んでいた時、君たちがどんなに辛くてもドッジボールを辞めずにここまで続けられてきたのも、仲間の励まし・支えがあったからではないでしょうか。

ここまでいろんな困難があったことでしょう。ですが、度重なる困難が君たちを成長させます。

難の無い人生は無難な人生

難の有る人は有り難い人生

これからもいろんな困難が君たちの前に立ち塞がるでしょう。

ですが、ドッジボールで培った精神力でその壁を乗り越えていってほしい!

これからも顔晴ってください!!

保護者の皆様、長きにわたり選手たちを、チームを支えていただきありがとうございました。

最後になりますが、本日はこのような心のこもった盛大な六年生を送る会を企画・準備してくださった在団生・保護者の皆様に感謝を申し上げて、私のあいさつに替えさせていただきたいと思います。

ありがとうございました。

 

【顧問挨拶〜認め合って・団結する(ユナイトキッズへ)〜】

ユナイトキッズの6年生の皆さん、卒業おめでとう!

そして、保護者の皆様、お子さんのドッジボール生活からのご卒業に際しまして、心より祝福の言葉をお贈りいたします。おめでとうございます!

「ユナイトキッズ」は創立以来24代目のチームです。徳間ドッジボール愛好会は「徳間ドッジボールスポーツ少年団」に組織変更して10年を終了したわけですが、保護者の皆様には、これまで愛好会およびスポーツ少年団の活動を支え、ご支援ご協力をいただき、本当にありがとうございました。厚く感謝申し上げます。

短い人で3年間、長い人で6年間のドッジボール生活。特にこの3年間は新型コロナウィルスの流行で大会中止や制限があり、思うように大会参加ができませんでしたね。

しかし、自分の思いだけで物事が進むことの方がむしろ少ないのが人生です。こうした苦しい時期を乗り越え頑張れたことに自信を持って、これからの人生を切り開いていってほしいと願うばかりです。

 

ユナイトキッズの「ユナイト(unite)」とは? 合体させる、合流する、一つになる、団結する…という意味ですね。性格や嗜好、考え方や特徴が違ってもお互いに相手の良さを認め合い、協力したり助け合ったりして団結してきたのが「徳間ユナイトキッズ」でした。

中学校生活でもいろいろな場面で周りの人や新しく出会う人と良い交流をして、一つのことに団結できたら素晴らしいですね。

そして、自分の夢に向かって挑戦してほしい。数年後にまた徳間小学校体育館へ来てください。そして・・・、

「こんな夢を実現したよ・・・!」 という報告を待っています。

 

さて、ユナイトキッズは4年の7月には16人。その後、フレンドリー2人。退会4人。そして、愛好会として10人が卒業します。ここで学年コーチとして、6年生ひとりひとりの出席数とアタック数・キャッチ数を発表します。→数字で見る成長の姿。

 

名前

入会年・

出席日数

練数

出席率

キャッチ数

アタック数

Ay

4

6

30(+30)+98(+14)+137309

418

74

1769199285

9

 

 

(フレンドリー)

 

 

ノート◎

靴整頓◎

4

4

103(+10)+132134379

422

90

67221105393

2523525

 

 

5年次94

 

 

投球力◎

Si

3

12

884108128328

439

75

3542196273

28

 

 

ムードメーカー◎

 

 

髪型◎

3

9

197768100264

453

58

89173208470

73496569

 

 

1394

 

 

喘息、受験、

児童会◎

Te

3

7

35128135121419

465

90

233264263760

93746

 

 

493%、596

 

4年◎

 

To

35

14

103498119117369

472

78

3611112159

306485791

 

 

5年次84

 

 

怪我、

Ao

2

4

324396115126412

524

79

56145204405

54348

 

 

88%、70%、82%、85

6,11,3100

 

 

 

Se

1

11

5046137141144473

481

98

141134194469

2338211054

 

34

5年次100

 

継続◎

 

Tu

1

48

183446116130131475

571

83

85273388746

3792129

 

 

394%、592

 

 

カット◎

ノート◎

1415

364244127122130501

570

83

176325354855

46112158

 

 

思考力、洞察力◎

 

 

司令塔◎

 

 

練習日数・・・・47+48+49+138+141+148=571

 

最後になりましたが、このような心のこもった「6年生を送る会」を企画、ご準備いただいた在校生の保護者の皆様に感謝とお礼を申し上げて、私のあいさつに替えたいと思います。ありがとうございました。

 

卒団生の作文

ぼくがドッジボールを始めた理由は、1年生の時学校でドッジボールをしている時が一番楽しかったからです。

そしてフレンドリーに入りました。1回頭にボールが当たるのが怖くてドッジボールをやめました。3年生になった時、いつものように学校でドッジボールをしていると、やっぱり一番ドッジボールが楽しくて、もう一回入り直しました。

4年生になり愛好会に入りました。練習メニューはフレンドリーに比べてとてもきびしくて泣いて練習に行ったり、やめたいと思ったことが何度もありました。それでもドッジボールの楽しさもあり、5年生まで続けることができました。

自分たちが5年生の時はとても6年生が少なく、コロナがきびしい環境の中から始まりました。だけど自分にはうれしいことがありました。自分が一番やりたかったポジション、アタッカーになることができました。監督から筋トレのメニューを教えてもらい球速を確実に上げました。11回の交流試合などを大切にしました。

知事杯はコロナで中止、くじで決めることになり、家で願って結果を待っていると抽選で当たり全国大会行きました。5年生として最高にいい体験になりました。

6年生になり、ぼくはキャプテンになりました。最初の方は自分たちのやりたいことが思うようにできず、課題がどんどん増えて…、ドッジボールができるのはこれで最後と思うとどんどん時はすぎていきました。デリシア大会は負けて、最後の夏が終わり知事杯に向けて練習をがんばりました。12月ぐらいになると自分たちがやりたいことが安定してできるようになりました。思えばすぐ目の前に知事杯が待っていました。

当日、チームのふんいきは完全にととのい気合いが入っていました。予選は上がったけどトーナメント1回戦は古里に負けてしまいました。とても悔しかった。これでもう最後だと思うともっと悔しかった。

最後はさよなら大会で勝つ、そう思い残り短い期間を大事にしました。…自分はやり残したことはありませんでした。ドッジボールは自分にとって気持ちを強くしてくれたし、チームのことを思うことができて最高でした。

私がドッジボールを始めたのは、四年生の時でした。塚田先生にさそわれてドッジボールという習い事があることを知りとても興味を持ったからです。

始めはフレンドリーに入り練習をしました。ボールをよける事はできるけれど、なかなか上手くとることができなくてとても大変でした。四年生の中頃になり愛好会に入りました。フレンドリーの練習と全くちがい全力で取り組んでいるのが伝わってきました。

五年生になり、私は一つ習い事をやめました。これまでは試合にあまり出ず楽しんでやっていましたが、全国大会を目指して真剣にドッジボールに取り組むようになりました。知事杯はくじ引きで当たって全国大会に行くことになりました。カラーコートで緊張したけれど1本とることができました。結果は全敗だったけど、カラーコートに立って楽しく試合ができたので良かったです。

六年生になりユナイトキッズの副キャプテンになりました。みんなをまとめるのは大変でクラージュ、エクシードの六年生のがんばりを知りました。デリシア大会では予選落ちしてしまいました。知事杯では優勝するために悔しさをバネに練習にはげみました。知事杯当日、朝早くから体育館に集まり、優勝の気持ちを高めていきました。ですが、予選は4位で決勝トーナメント1回戦目で古里に負けてしまいました。ですが、みんなと力を合わせて楽しく全力でやりきることができたので良かったです。

最後にたくさん指導してくださった監督・コーチの皆さん、いつも応援してくれた保護者の皆さん、そして何から何まで支えてくれたお父さん、お母さん、今まで本当にありがとうございました。

ぼくがドッジボールをはじめたきっかけは、せいや君の練習についていって練習の様子を見て、入りたいと思ったからです。はじめて見たら楽しくて毎回練習に行くのが楽しみでした。愛好会に上がると練習がたいへんになり、くじけそうになりました。でもその時やめなくてよかったです。大会で勝つ達成感やアタックやキャッチができた喜びをあじわえたからです。

自分はみんなとはちがいケガをしていて練習ができなかったこともあったけど、フレンドリーのころよりももっとうまくなりました。

五年生の時に行った全国大会では負けてしまったけどすごくいい経験をしました。六年の最初の大会で準優勝ができて、めちゃうれしかったです。合宿では宿に泊まったりレクレーションをしたりして楽しかったけど、次の日の大会でお腹をこわしてそのまま帰宅して大会に出れませんでした。ごめんなさい。

三年間の愛好会での経験は、ぼくをとても大きく成長させてくれました。監督・コーチの皆さん、塚田先生、島田代表、いろんなことをたくさん教えてくださり、本当にありがとうございました。

ぼくがドッジボールをはじめたきっかけは、お兄ちゃんがやっていたからです。ほいくえんのときからお兄ちゃんの大会やれんしゅうを見ていて、ぼくも早くドッジボールをやりたいとおもっていました。

1年生になりフレンドリーに入り、やっとドッジボールができました。大会にも出てがんばりました。4年生になり、もっとつよくなりたいと思い、あいこうかいへ入りました。れんしゅうないようがフレンドリーのときよりたいへんで、さいしょはついていくのがやっとこでした。でも、みんなにまけないようにがんばりました。

5年生になり、6年生がすくなかったのでレギュラーメンバーとしてがんばりました。ゆめだったカラーコートにも立ててうれしかったです。

6年生になり、こんどは自分たちがひっぱっていくばんになりました。ぼくはカットとしてせっきょくてきにボールをとりにいきました。さいしょは、なかなかうまくカットができなかったけど、あきらめずなんどもチャレンジしました。

デリシア大会では、1しあいしかかてずトーナメントにあがれず、くやしかったです。21せいきはいでは、よせんはかちつづけトーナメントにあがってゆうしょうしました。

ちじはいでは、よせん2位でトーナメントへあがり、1しあい目に古里にあたり、がんばったけどまけてしまいました。全国大会にいけなくてくやしかったです。

さよなら大会では、よせん4位でちくまとあたり、まけてしまいました。さいごの大会でゆうしょうできなかったけど、6年生ぜんいんで大会にでれてよかったです。

いままでしどうしてくれたかんとく、コーチのみなさん、そしていつもおうえんしてくれたほごしゃのみなさん、ありがとうございました。

ぼくは3年生から3年間ドッジボールをやってきました。3年生からドッジボールの話が耳に入ってきて、ドッジボールをやりました。初めて大会に出た時はいろんなチームがいてとても楽しかったです。その大会で愛好会の試合を見て、ぼくもキャッチをしてアタックを決めたいと思いました。

4年生で愛好会へ入って練習はきびしかったけど6年生が教えてくれて楽しかったです。知事杯では、あの時のチームでも全国には行けないと思うとすごくくやしかったです。

5年生では、今度こそ全国こそ全国に行きたくて練習をしました。ちゅうせんだったけど全国へ行けるようになりました。全国大会は人も多くて知らないチームがあって、きんちょうしました。

6年生で自分たちの代では県大会で負けて全国へは行けなかったけど、ドッジボールを仲間と楽しくやれてよかったです。

ぼくは徳間ドッジボールクラブを1年生から6年生までやりました。1年生の時にさいしょに話したのはたくま君でした。

ぼくは湯谷小学校で塚田先生にさそわれて入りました。その時は湯谷小学校の人が少なかったので友達もいませんでした。でも、今の6年生と5年生とは、12年生の時から仲がよかった人がいました。そして仲間を作ってドッジボールができて、すごく楽しくてうれしかったです。

ぼくが一番大切にしていることは楽しくやることです。きつい練習でもなかまと楽しみながらやりました。それがぼくのドッジボールのじょうたつのしかたです。ぜひやってみてください。

「楽しむ」と「ふざける」はちがうので、きをつけます。

ぼくの一番の思い出は、あすなろ大会です。6年生がぬけてふあんもあったけど、練習してきたことを出せるかたのしみでした。ぼくはまんなかをやっているけど、はじも少しやっていました。なので5年生だけのあすなろ大会で、自分の実力をためしたいと思ったからです。あまりアタックもパスもよくないけど、声を出して盛り上げる事とキャッチはそこそこできたので、それを6年生になったら練習しようと考えました。

6年生では、6番でまんなかでキャッチすることになりました。自分が「やってみたい」と思えることをやることはじょうたつも早いし楽しいです。

6年生へ。 6年生がぬけてたいへんかもしれないけど、11人こせいをじかくして、とくいな人がにがてな人に教えられるようにしてください。

僕は4年生の時にドッジボールを始めました。始めたきっかけは、お父さんにドッジボールをすすめられて、楽しそうだなと思い、始めました。だけど愛好会の練習は本格的で、何回もやめようと思った事もあったけど、仲間とはげましあってがんばりました。

4年生の時にはボールが怖くてなかなかとれませんでした。だけど練習するうちにキャッチができてうれしかったです。

5年生になってレギュラーに入り試合に出ました。長野県選手権大会では見事にキャッチ、アタックを決めてかんとう賞をとりました。

知事杯はコロナのえいきょうでちゅうせんになりました。だけど、当たって広島の全国大会に出る事ができました。カラーコートに立ち感動しました。全国に出るチームはこんなにレベルが高いんだとあらためて感じさせられました。

6年生になり、外野のアタッカーになりました。最初はむずかしくハンドキャッチなどがうまくいかなかったけど、練習するうちにできるようになりアタックを決めた時はうれしかったです。

デリシア大会は予選落ちでくやしかったです。くやしい気持ちを力に変えて練習に取り組み、21世紀杯では優勝できました。本当にうれしかったです。知事杯では予選は勝ち抜いたけど、決勝トーナメント1発目で負けてしまいました。本当にくやしかったです。さよなら大会では楽しく、くいのない試合ができました。

今まで支えてくださったかんとくやコーチ、保護者のみなさん、支えていただきありがとうございました。僕はドッジボールをやってて良かったです。

ぼくは2年生の時にドッジボールを始めました。始めたきっかけは、学校でドッジボールのチラシをもらったことです。見学しに行ったら楽しそうだったから入ることにしました。

フレンドリーの頃はよくわからないことがたくさんありました。でも、練習や大会に出てキャッチをするのが楽しかったです。

4年生になると愛好会に入りました。フレンドリーよりも練習がきつくて練習が嫌いになりました。だけど、お母さんがはげましてくれて、最後まで続けることができました。5年生になると試合に出る数が増えました。他のチームのボールが速くて怖くて目をつぶってしまい、当たることがたくさんありました。それでもキャッチができた時はうれしかったです。

5年生の時、全国大会で広島県に行きました。初めて見るカラーコートはすごかったです。県外のチームは強くておどろきました。ぼくもそんな風になりたいなと思いました。

6年生になりユナイトキッズになりました。ぼくは左サイドになりました。やりたいポジションになれたのでうれしかったです。始めのうちは難しかったけどなれてきたら、監督にスライドキャッチを教えてもらいました。スライドキャッチができた時はとてもうれしかったです。アタッカーや外野にも挑戦させてくれてありがとうございました。

応援してくれたみなさん、今までありがとうございました。

「気持ちの変化」

約三年前、三年生の終わりごろ、ドッジボールの話で盛り上がる友達と仲を深めたい、話に混ざりたい、そんな軽い気持ちで始めたドッジボール。しかし、フレンドリーの練習は体験をふくめてたった数回。このまま愛好会に進むかフレンドリーにとどまるかを考えた結果、愛好会へ進むことにしました。愛好会の練習はフレンドリーとは格がちがい、とっても厳しく苦しかったです。そしてコロナによる長い練習の中止により、再開された時はさらに苦しく厳しくなりました。ただでさえ経験と練習量の少ない自分は周りについていけず、かぞえきれないほどくじけました。

そして、そのまま五年生へと入り、当時の六年生は少なく五年生がレギュラーになることが多くなる中、自分は何回もベンチに下げられ、そしてボールがとてもこわくなって練習に来ても休むことが多くなり、いっそフレンドリーにもどろうと考えたりドッジボールをやめようとしました。でも、コーチたちは優しくそして厳しく教えてくれました。

そんな中、冬の県大会がコロナで無くなり、ちゅう選で全国大会へ行くチームが決まりました。すると、運をたぐりよせて全国への切符をつかむことができました。そしてむかえた全国大会では当時のかんとくは楽しんでこいと言いました。結果は全敗で予選敗退。しかし、ボールをおそれることなくプレーができました。

そして六年。下の学年に教えていかなくてはならないコロナの年に…少しずつ良い成績が残せるようになりました。そして県大会では良い成績こそ残せなかったものの、全力プレーすることができました。そして、最後のさよなら大会では上位に入ることはできませんでしたが、全力で最高のプレーをすることができました。こんなにもドッジボールが大好きになれたのは、かんとく、コーチ達、そして個性豊かな仲間達のおかげです。本当にありがとうございました。

そして、四年生のドッジボールがこわくてくじけている自分にもし会えたら、六年生の君はドッジボールもかんとくもコーチもチームメイトも全て大好きだよと伝えたいです。本当にありがとうございました。

昔、ぼくがドッジボールをはじめたきっかけは塚田先生がさそってくれたからです。当時、僕はドッジボールは好きでしたが、実力はとても弱く、ついていけるか心配でした。フレンドリーに入るとたくさんの仲間がいて、練習内容もそれほど難しくなく、練習がいつも楽しく感じました。

そして、四年でクレストキッズに入り本格的にやりはじめました。そのころはランニングにいつも追いつけず、フットワークもぜんぜんついていけませんでした。そのため大会にもぜんぜん参加できませんでした。

五年生になるとランニングやフットワークについていけるようにがんばりました。けれどそのころからぜんそくがひどくなっていき、ランニングやフットワークはいつも地獄と感じました。

けれどいつもみんながはげましてくれたことで、いままで続けられました。特に、元気をもらったことは当時、ろうかでかんとくがマジックをしてくれたことです。とても元気をもらいました。けれど冬にはぜんそくがひどくなり一時期はずっと休んでいました。でも良くなってまた練習に参加することができました。

抽選で出場できた全国大会でとても元気づけられました。

6年生になるとさらに練習に本気になり、ドッジリーグで2位をかくとくしました。けれどデリシア大会のリーグ戦に負けてチームのしきが下がったと思いました。そのころは大変だと思いました。けれどその悔しさをバネにひっしにがんばり二一世紀杯で優勝し、新しいこうげき方法も身につけました。

12月になると知事杯のためにひっしにがんばり、作戦もよく立てるようになりました。なにもかもがんばりましたが、それでもトーナメント1回戦で負けてしまいました。けれど、ここまでこれたのは監督やコーチ、代表、チームの仲間、保護者のおかげです。4年間見守ってくれてありがとうございました。

 

 

 

 OB会で交流 

 

21日(火祝)夜、稲田徳間地区センターで3年ぶりにOB会を行いました。現役指導者、保護者有志を含め20名に参加していただき、懇親しました。お忙しい中をお集まりいただき、感謝申し上げます。