No、764                                   24319

 愛好会通信  

徳間ドッジボールスポーツ少年団

 

ブライトキッズが卒業

17日(日)、稲田徳間地区センターで6年生を送る会(卒団式)を行い、参加者60名でブライトキッズの8名の卒業を祝いました。この会を準備し、運営してくださった保護者の皆様に感謝申し上げます。

 

1      六年生入場    2      開会の言葉    3      代表挨拶    4      顧問挨拶

5      乾杯    6      くす玉でお祝い    7      監督挨拶    8      コーチ挨拶

9      六年生の作文発表    10   記念品贈呈    11   四・五年出し物

12   おやじキッズのステージ    13   ママさんキッズのステージ

14   「ブライトキッズ物語」上映    15   新チーム紹介

16   六年保護者から記念品贈呈    17   ユニフォーム返還式   18   記念写真撮影

19   万歳三唱    20   閉会の言葉    21   六年生退場

 

【島田代表の贈る言葉】

徳間ドッジボール愛好会25代目、徳間ブライトキッズの卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

春は惜別の時、また旅立ちの時。

今年度は8名の卒業生を送ることとなります。

先代のユナイトキッズより「思いの炎」を受け継ぎ、今日まで過酷な日々の毎日でした。小さい時からドッジボールに打ち込んで、たくましくなった君たちの立派な姿を見て、私はとても感激しています。

一人一人が明るく、チームが光り輝くようにと名付けられた「ブライトキッズ」ですが、大会ではみんな一人一人が輝いて見えました。

「全員が輝いて全国優勝を目指す!」という大きな目標を達成するべく、チームで切磋琢磨し、厳しい練習を乗り越えてきましたね。

時に喜び、時に笑い、時に苦しみ、時に泣き。

そんな時にいつも近くにいてくれたのが「仲間」ですよね。

辛い時には励まし合い、

泣きたいときには一緒に泣いて、

嬉しいときには喜び合い、

一人が笑えばみんなが笑う、

そんな楽しいひと時が、私にとっての幸せでした。

みんなでドッジボールができたこと、本当にうれしかったです。

これからは中学生となり、環境の変わった世界に歩み出すこととなります。

いつも笑顔を絶やさず、新たな一歩が幸せに満ち溢れるものとなりますようお祈り申し上げます。

保護者の皆様、本日は選手の皆様のご卒業おめでとうございました。

今年度からコロナウイルスが5類に引き下がったことにより、大半の大会が例年通りの環境で行われました。

活気ある応援が再び会場を熱くし、選手たちに力を与えてくれました。

長きに渡り、選手たちを支えていただきありがとうございました。

最後になりますが、本日は心のこもった盛大な会を企画・準備してくださった在団生・保護者の皆様に感謝申し上げて、代表のあいさつに替えさせていただきます。

ありがとうございました。

 

 

【塚田顧問の言葉〜君の人生が輝くように〜】

 

ブライトキッズの6年生の皆さん、卒業おめでとう!

そして、保護者の皆様、お子さんのドッジボール生活からのご卒業に際しまして、心より祝福の言葉をお贈りいたします。おめでとうございます!

「ブライトキッズ」は創立以来25代目のチームです。徳間ドッジボール愛好会は「徳間ドッジボールスポーツ少年団」に組織変更して11年を終了したわけですが、保護者の皆様には、これまで愛好会およびスポーツ少年団の活動を支え、ご支援ご協力をいただき、本当にありがとうございました。厚く感謝申し上げます。

さて、ブライトキッズは低学年でフレンドリーキッズとしてドッジボールを充分に楽しみ、4年で愛好会に進んで真剣勝負と交流活動を経て、今こうして8人が卒業します。

ここで、6年生ひとりひとりの出席数とアタック数・キャッチ数を発表します。→数字で見る成長の姿。

 

名前

入会年・月

出席日数

練習日数

出席率

キャッチ数

46

アタック数

46

そうしろう

1

6

283245138149149541

580

93

134325276735

1050433493

 

 

3兄弟

 

 

カット

 

やすまさ

1

3

23843129150150512

544

94

140239293672

1225477

 

 

 

 

 

掛け声

ランニング

はるま

2

4

1327868591302

540

56

77139180396

18615

 

 

合気道

 

 

ジャンプボール

 

しょうた

2

5

3236131129129457

536

85

50108210368

281020

 

 

4年次94(欠席9日)

 

 

スライドキャッチ

 

としゆき

2

5

2039125140139463

535

87

232219163614

139398438

 

 

 

 

 

声、主将

外野

よしやす

2

6

2240137142138479

531

90

189243254686

1984787890

 

 

4年次98(欠席3日)

 

 

カット

アタッカー

まさき

3

9

23127140147437

482

91

98163190451

631343380

 

 

 

 

 

 

1発アタック

ゆうと

3

10

 

28138143144453

479

95

274292196762

783522612

 

 

4年次99(欠席2日)

 

 

ケガ

エース

 

ところで、123日の徳間の里ドッジボール大会の際に私の大好きな日本酒をたくさんいただきました。ここで改めて保護者の皆様にお礼を申し上げます。

日本酒といえば日本人の心にしみる「演歌」です。

川中美幸さんの歌をご存じですか? 徳間小PTA新聞の名前は? そうです!「にりん草」です。

そして、224日発売の新曲「人生日和」・・・この曲はドッジボールの歌なんですよ。

皆さんは「躱」という字を知っていますか?

 

 

♪ 今日の苦労を 笑顔で躱し 

ひとつ大きく 深呼吸

胸に隠した 意地もある 

ここが男の がんばりどころ

心晴れ晴れ 人生日和

変わる風向き 待てばいい

すてた夢なら ひろえばいいさ 

消しちゃいないさ 夢灯り

たとえ人より 遅れても 

ここはじっくり がんばりどころ

心晴れ晴れ 人生日和

おれの時代は きっと来る ♪

 

 

君たちは、努力がすぐに結果に現れないことを学びました。

でも継続して努力すれば確実に成長することも学びました。

君たちのこれからの人生も同じように努力と成長の積み重ねです。人生に「ブライト(輝き)」を!!

 

最後になりましたが、このような心のこもった「6年生を送る会」を企画、ご準備いただいた在校生の保護者の皆様に感謝とお礼を申し上げて、私のあいさつに替えたいと思います。ありがとうございました。

 

 

【六年生の作文】

「五年間ありがとう」

ぼくは、二年生の時に徳間ドッジボールチームに入りました。最初は公式のルールも分からなかったけれど、塚田先生が分かりやすく教えてくれたおかげで、すぐにルールを理解することができました。

次に三年生の時には、古牧小学校のチームと練習試合を一緒にして最後に試合もやりました。

それで愛好会チームの人たちの試合を見た時、ボールが速くてすごいと思いました。

次に四年生の時には、愛好会に入って体操のやり方が分からなかった時、六年生と五年生がていねいに説明してくれたおかげで、だんだん愛好会になれることができました。

次に五年生の時には、六年生がたくさん呼びかけをしていてさすがだなぁと思いました。そして、ぼくもたくさん呼びかけをするようになって、さらにドッジボールが楽しくなりました。

最後に六年生の時には、キャプテンになりました。だけどうまくできなくて、なんとか上手になってうれしかったです。外野をやるようになった時、うまくカットをはずせなかった時、青松監督と島田代表がカットのはずし方を教えてくれたおかげでしっかりはずすことができました。

さらに、全国大会に行けなかった時にすごくいいはげましの言葉を言ってくれたり、すごく大きな声でおうえんしてくれてありがとうございました。

ぼくらは全国大会に行けなかったけれど、次の六年生はぼくらのぶんまでがんばってください。

今までさまざまなところで支えてくれたコーチ陣、監督、ほごしゃのみなさん、これまでありがとうございました。

 

 

「負けたけど楽しかったドッジボール生活」

ぼくがドッジボールを始めたのは3年生の10月の頃でした。理由は3年生の時にしょうた君に楽しいからドッジボールをやろうよ、とさそわれたからです。なので、ぼくはドッジボールのたいけんに行きました。さいしょはボールがこわかったけど、キャッチのしかたや投げ方をみんながやさしくおしえてくれました。

練習が終わって体育館を出ようとすると、ふじもりコーチがぼくにドッジボールに入ろうよ、といってくれました。そして、愛好会に入りました。

フレンドリーとはちがって練習がとてもきつくて、いやになった時もありました。はじめての大会で試合に出た時には、こわくてターンについていけずあたってしまいました。でも、練習して試合に出ると少しずつついていけるようになりました。はじめてボールをキャッチした時はとてもうれしかったです。

ぼくはもっとつよくなりたいと思って、家で自主練習をはじめました。筋トレやたいかんをいっぱいやって、そのあとにボールをつかいました。めんどうくさくてやらない時もあったけど、自主練習をやったからだいぶボールがとれるようになりました。

そして六年生になりました。さいしょはカットじゃなくてラインでした。そのうちにカットになり、カットの動きがわかってきました。アタッカーは島田代表にワンツーのやり方をおそわりました。むずかしくてファンブルしてたけど、そのうちなれてきてあてられるようになりました。

でも、9月に骨折してしてしまいました。試合に出れなくてとてもくやしかったです。治ったのにフォーメーション練習でまた骨折してしまいました。とてもくやしかったです。

知事杯は試合に出ることができました。若槻戦で外野からあててもどることができました。でも、結果は予選落ちで、くやしかったです。

さよなら大会は全力でとりくむことができました。トーナメント1回戦目でまけてしまいました。でも、すごく楽しくできてよかったです。

コーチやかんとく、島田代表、今までぼくたちをささえてきてくれて、ありがとうございました。

そして、ほごしゃの人たち、おうえんしてくれてありがとうございました。

 

 

「大好きなドッジボール」

僕は、小さい頃からボールを投げるのが好きで、一年になったらすぐドッジボールのクラブがあるよと聞いてフレンドリードッジに入りました。最初は飛んでくるボールをこわがってキャッチが出来ませんでした。でも、だんだんとプレーをしているうちにタイミングを合わせキャッチが出来るようになりました。

二年生では、もうだいぶキャッチが出来るようになって、フレンドリーの大会に出れることになりました。でも、相手は三年生なのでビビってしまいました。それでも必死になってついていって三年生ではアタッカーという僕のやりたかったポジションにつけました。そうしてプレーをしているうちにドッジボールがもっと楽しくなりました。

四年生になって、僕は愛好会に入りました。フレンドリーと全く違う練習メニューでとても厳しく苦しかったです。最初はやめようかなと思いました。それでも、試合に出てプレーをすると、やっぱり楽しいなと思い、やめられませんでした。

全国大会に行くかを決める大会では県予選がコロナのために中止になり、くじで決めることになりました。家で結果を待っていると、くじに当りました。仲間と広島へ行くことが出来、カラーコートも見れて、とても貴重な体験になりました。

五年生になると、僕は四年生の時よりも試合に出る数が多くなりました。憧れのカラーコートにもう一度立ちたいと思い、五年生ではチームが一丸となってドッジボールに集中しました。

そして、むかえた六年生では、僕が徳間ブライトキッズの4番としてアタッカーをやることになりました。僕はこの一年クロスを武器として練習をがんばりました。そして、むかえた夏の県予選では予選落ちという悲しい結果で終わりました。

次の県予選では絶対勝つぞという気持ちで練習に取り組みました。でも結果はかわりませんでした。とても悔しかったし、最後と思うと、涙がこぼれて来ました。

この徳間ドッジボールは思いやりの心をくれましたし、多くの感動をつくり自分の心を強くしてくれました。とてもいい経験になりました。

最後になりましたが、塚田先生はじめ島田代表、青松監督、コーチの皆様、本当におせわになりました。

楽しいドッジボールの日々をありがとうございました。僕を支えてくれたお父さん、お母さん、ありがとう。

 

 

「つらい時ものりこえたドッジボール」

ぼくは、二年生のころにドッジボールを始めました。最初はまったくボールがとれなくて、ラインからぬけて、とにかくコートを走りまわっていました。サイドにパスがきたらコートを1周走りまわり、ボールがきたらせなかを向けてすぐにあたりました。そこでフレンドリーの時のかんとくがカットをやってみてと言われ、ここからカットを始めました。最初は上手くいかなかったけど、練習してしっかりカットができるようになりました。

愛好会に入るとものすごく苦しい日々がまっていました。ランニングとかよく他の4年生はあきらめていました。ですが、ぼくはあきらめることがいっさいありませんでした。そのたいどや性格でレギュラーが決まってくと分かってきたのです。ぼくはだんだんとキャッチが上手くなり、レギュラーとなったことがありました。ですが、そんな簡単なことではありません。すぐにぬかされたりしてしまいます。みんながライバルとなっているので、気をぬくことはありませんでした。

四年生のころに全国大会にちゅうせんで行くことができました。ぼくは試合に出させてもらい、1本キャッチすることができました。すごい達成感があり、とてもいいけいけんとなりました。それをバネに次のせだいへとうけつがれました。

ユナイトキッズでは、球のスピードがはやくなり、キャッチも上手くなりました。ハンドキャッチやワンツーといった基本のことができてきました。練習はきつく、何回もやめたくなりましたが、きついのはみんな同じと思いがんばりました。

六年生となり、ぼくは副キャプテンとエースをまかされました。いろんな大会をふりかえってなかなか勝てず、くやしい想いがたくさん残っています。ですが、そのけいけんが将来に役立つとぼくは思っています。

デリシアカップは予選落ちしてしまって、とてもくやしかったです。そのくやしさをバネに、ぼくたちはもうれんしゅうをしました。いろんなポジションに変わっていきました。

ぼくは外野でしたが、内野アタッカーになったりしました。ですが、ぼくは自信がつきました。内野アタッカー、外野アタッカー、ジャンパー、カット、ラインディフェンスすべてでき、ぼくの支えとなりました。

エースとしてじっかんし、バンバン打って練習しました。

知事杯はぜったい勝つと思っていました。ですが、予選落ちしてしまいました。もちろんくやしかったですが、これがぼくたちの実力だと分かったので、くいなくできました。今までで、いろんなことがあったけれど、とても楽しく時には厳しくいいドッジボール生活になりました。

 

 

 

「忘れられない仲間との思い出、そして感謝」

僕は、2年から5年間ドッジボールをやりました。僕は、学校のセンターで友達にすすめられて入りました。

2年生の頃は試合にほとんど出れず、残念でした。

3年生ではフレンドリーやちびっこ大会で、キッズジュニアでは外野などの重要なポジションをやらせてもらったり、楽しくできました。

4年生から愛好会で練習をしました。4年生の頃はクラージュキッズで6年生が1人でした。試合は他の4年生が出ることが多く、僕はほとんど出れませんでした。でも、一生懸命練習しました。

コロナで抽選に当たって全国に行くことになった時はうれしかったです。全国大会では試合に出れず予選敗退でとてもくやしく、全国に実力で行きたいと思いました。

5年生の時は、試合に出る数が増えてうれしかったです。二十一世紀杯では、決勝戦で勝ち優勝できうれしかったです。全国には行けず次の自分達は、行くと思い練習を続けました。

6年生になり、チーム名はブライトキッズ。目標は『全員で輝いて全国優勝』でした。でも、大会ではぜんぜん勝てず、デリシアカップで負けてしまい、残ったチャンスは1回になってしまいました。練習を続け、全国への最後のチャンス、知事杯をむかえました。予選ガリコと得点で並び内野人数で負け敗退となり、もう全国に行けないと思い、とてもくやしかったです。でも島田代表の「夢は消えても思いは消えない」という言葉に少し勇気をもらいました。

6年生最後のさよなら大会前にインフルエンザが増え全員で出られるのか不安になりました。しかし、6年生がそろって出られてよかったです。トーナメント1試合目でガリコに9対10で負けていてその後はキャッチ陣は当たらずにたえたけど、アタッカーがあてられず1点差で敗けてしまい残念でした。

しかし、最後まで生き生きとコート内、ベンチ、応援してくれた家族等、一つになって全員ドッジができてよかったです。

6年生の7人そして45年生、青松監督、島田代表、塚田先生、中村コーチ、藤森コーチをはじめ指導者、OB、家族等、今まで支援してくれた方々、ありがとうございました。

 

 

ぼくは3年生の時にしょうた君とそうしろう君のさそいでドッジボールに入りました。初めはこんなにドッジボールってきついの、ってずっと思ってました。でも、愛好会に入った時、練習になれたらすごく好きになりました。

4年生の後半、新型コロナウイルスのえいきょうで知事杯が中止になり、くじ引きで決めることになりました。くじ引きの結果、当選し全国大会に行くことができました。ぼくは全国大会に行けると聞いて、すごくうれしくわくわくしました。

全国大会当日、ぼくはいつ試合に出されてもおかしくなかったので、すごくきんちょうしました。試合には出れなかったけど、自分のげん界までしっかり声を出しました。結果は予選落ちになりましたが、いい経験になりました。

5年生になって新チームで活動するようになりました。

徳間ユナイトキッズ最初の大会、長野リーグで2位になりました。知事杯では予選2位で決勝トーナメント1回戦で敗退となりました。最後まであきらめないユナイトの人達を忘れずにがんばろうと思いました。

ぼくたちのじだいになり、ぼくたちが4.5年生をひっぱっていく立場になりました。

すべての大会、けっしてあきらめないで、がんばってきました。知事杯は自分達のドッジボールができずにすごくくやしかったけど、さよなら大会でぼくたちはすべて出しきりました。

そんなぼくたちをうしろで見ていた4.5年生が忘れずがんばってくれると思います。

島田代表が言っていた言葉、思いはつながります。「全国大会に行きたい」「カラーコートに立ちたい」その気持ちが強いチームがぜったいに全国へいけるんです。

だから、1日の練習に気持ちを入れて練習してください。全員ドッジでがんばってください。

 

 

「ドッジボール」

ぼくがドッジボールを始めたのは小学2年生の時で、お兄ちゃんがドッジボールをしていて自分もやってみたいと思ったからです。

小2小3の時はしっかり全力を出しきれなくて負けてしまって、とても悔しい思いをしました。

3年生最後の試合では1位にはなれなかったけど、最後にはしっかり全力を出すことができました。

小4小5では、練習がとてもつらかったけど、小6では少し思うようにできて、楽しくできました。試合でたくさんのことを学びました。それを生かしてがんばった知事杯では、予選落ちでとてもくやしかったです。

その悔しさをバネにしてがんばったさよなら大会では、トーナメント1回戦で負けてしましました。

だけど、やれることは全部やることができたと思います。

ここまでこれたのは、お父さんお母さん、かんとく、コーチ陣のおかげです。本当に今までありがとうございました。

 

 

「がんばった3年間」

ぼくは練習に行くのがいやだったけど、練習に行くと楽しかったり、みんなが声をかけてくれたりして、がんばって3年間やってこられました。

とくにがんばったことは、ジャンプボールです。いろんな人にていねいに教えてもらって、少しずつできるようになりました。ジャンプボールをするときの手の角度や手の向きやジャンプする時のタイミングを気にしてジャンプするようになりました。

うまくジャンプが出来た時はうれしかったです。いろんな人からジャンプをほめられてうれしかったです。

徳間小学校に行って久しぶりに練習をすると、心配して笑顔で声をかけてくれて、とてもうれしかったです。

練習はひざつきターンが苦手だったけど、みんなが大きな声でターンしてたから、ぼくも大きな声を出して少しずつターンができるようになって、よかったです。

5年生の時は、ならいごとに行きたくない気持ちがあると、どうしても行きたくなくなったから休んでいたけど、6年生になってだんだんと行きたくない気持ちがあっても「行くか」と心に思って、気持ちを強くしていくことが出来るようになりました。

6年生になっていっぱい試合に出られるようになって、うれしかったです。練習や大会の時に声を大きく出すと気合いが入り、試合中はみんなが元気を出すようにがんばって、大きな声を出しました。

ぼくはドッジボールがつらかったけど、やめないでよかったです。最後までやりとげることができて、本当に良かったと思います。

徳間のドッジボールのいろんな人達に支えてもらって、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 OB会で交流 

 17日(日)夜、稲田徳間地区センターでOB会を行いました。現役指導者、保護者有志を含め24名に参加していただき、懇親しました。お忙しい中をお集まりいただき、感謝申し上げます。