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 愛好会通信 

徳間ドッジボール愛好会

 「6年生を送る会」、85名の参加で大成功! 

 10日(日)徳間会館で「6年生を送る会」が行われました。愛好会では、ドッジ少年たちの卒業をみんなで祝い、彼らのこれからの進路を励ます企画として毎年この時期に実施しているものです。

 5年生がリコーダーで「威風堂々」を演奏する中、6年生が静かに入場しました。一人一人の胸には事務局のお母さんが用意してくれたお花がやさしく付けられていました。

 塚田コーチからお祝いの言葉があった後、5年生から先輩に一言ずつ送る言葉が発表され、記念品が贈られました。

 5年生一人一人の言葉には、先輩たちのプレーと努力の姿を尊敬し、その跡を受け継いでゆこうという力強い決意に満ちていました。記念品(写真入りのカレンダー)は、昨年度の卒業生、高口裕翔君のお母様に作っていただいた物です。

 次に、峰村監督の激励の言葉がありました。

「徳間ドッジ愛好会の歴史に残る伝説のチームになった。全員ドッジ、信頼のドッジ、粘りのドッジ…、そして、夢(ドリーム)をありがとう!」

 厳粛な中にも、卒業してゆく少年たちへの温かい思いやりと愛好会の確かな信念が会場を包みました。

 6年生一人一人が作文を発表しました。その多くが4年生の時の気持ちと5年生、そして6年になってからの気持ちの違いについて触れていました。「心の成長」が作文の中にしっかりと自分の言葉で述べられていました。

 この頃になると、保護者の皆様の目からは雫が溢れて光っていました。

 竹腰コーチが音頭をとってくれて、全員で「かんぱーい!」

 ここから祝宴に入りました。お菓子とジュースで盛り上がった4年生は、ステージに上って、みんなで「この木なんの木」を歌いました。とってもきれいで澄みきった歌声でした。「ぼくたちも、全国大会優勝めざしてがんばります!」という小林主将の言葉に「がんばれよ!」の掛け声が飛びました。

 続いて、5年生が「カントリーロード」を合唱とリコーダー演奏で披露してくれました。教室で普段から歌いこみ、練習している曲なので、自信と余裕が感じられました。

 演奏終了後には、会場からは「アンコール!アンコール!」の大合唱。5年生たちは、「無理!無理!」と言いながらも…、ついに2曲目の「カエルの合唱」を出してくれました。面白かったよ。

 さて、盛り上がってきた頃にサッカー教室の卒業式を終わり、駆けつけて来た遼君と菅沼総監督をみんなで迎えました。3年間サッカーとドッジボールの活動をみごとに両立させた遼君をみんなで温かく祝福しました。

 さぁー、いよいよ宴会は最高潮です。金星太郎の登場です。普段は金星から宇宙船に乗ってやって来るのに、今日はなんと、横断旗を持って歩いて来たと言っています。不思議ですね。

「金星太郎ショー」を初めて見る4年生や保護者の皆さんは目を丸くして意外な表情でしたが、6年生とその保護者の皆さんは「またか!?」と思っていたことでしょう。

 歌と踊りの後は、おやじキッズとママさんキッズ30人の大合唱…。今年は金星太郎の提案で「北国の春」でした。

 最後は6年生全員による卒業の歌です。ステージに立つドリームキッズの背後には、45年生が応援幕を持って先輩たちを励ましました。「巣立ちの歌」は小学校生活を精一杯がんばり何かを成し遂げた喜びと、それを支えてくれた人々への感謝の気持ちがこもった6年生たちの素直な歌声でした。

 大きな拍手と共に監督は号泣し、保護者席からも涙が溢れていました。

 ビクトリーキッズの小林監督と45年生から6年生へ、激励の熱いエールも送られました。玉井コーチからは、「中学校へ行っても、たまにはユニフォームを着てドッジボールをやろう!」という新たな提案もありました。

 なごりはつきませんが、会場に集まった全員で「徳間小学校校歌−明日に向かって出発だ!」を合唱し、続いて三田村監督が万歳三唱の音頭を取りました。

「ドリームキッズ、万歳! レインボーキッズとビクトリーキッズ、万歳! そして、保護者の皆様、万歳!」

 6年生の最後の一人が会場を後にするまで、5年生による「蛍の光」のリコーダー演奏が続いていました。

 心のこもった「6年生を送る会」がこうして無事に終了しました。ドリームキッズの選手たちは胸を張って中学校へと巣立っていきます。

 皆さん、3年間のご支援、ご声援、本当にありがとうございました。厚く感謝申し上げます。

 お別れドッジ大会、盛大に… 

 9日(土)、春の陽射しがポカポカと暖かい気候の中、6年生が最後のユニフォーム姿を見せてくれました。ドリームキッズが最後の円陣を組み、キャプテンの野村君の声に合わせて、いつもの「1、2、3、ダァー!」の掛け声が体育館の天井に響きました。

 この日は徳間ドッジボール愛好会の「お別れドッジ大会」となりました。

 6年と5年が地区別に分かれての対戦は、昨年行われた地域の育成会対抗ドッジ大会を思い起こさせる熱い戦いになり、今回は稲田地区が2セット先取しました。

 さて、風間コーチが呼びかけて集まった「おやじキッズ」は、平均年齢33歳の(自称)若々しい面々がそろいました。

 気合いを入れて臨んだ戦いは、子どもたちの機敏な動きの前に次々と空回りし、あっという間に負けてしまう試合がほとんどでした。しかし、床に転んでもボールをけして放さなかった木村コーチや身長を生かした峰村監督のパスカットなど、応援席のママさんキッズからは労いの拍手や歓声が沸きました。

 親子のアタック合戦も多く見られ、竹腰コーチから大地君へのアタック、貴斗君から父へのアタックなど、愛情を込めた厳しいアタックが飛び交いました。でも、大半は子どもに軍配が上がったようです。

 負けても引き下がらないのが「おやじキッズ」の根性。「もう1戦、やろう!」と、子どもたちに挑んでいきました。

 子どもたちより大人の方が楽しんでいる親子ドッジ大会でした。峰村、竹腰、桧山、玉井、風間、三田村、外谷、小林、木村、塚田、のおやじ選手たち(監督コーチ陣)、そして温かく見守ってくれた菅沼総監督、ご苦労様でした。お疲れ様。

 ドリームキッズの選手たち、中学校に行っても今日のおやじたちの無邪気な汗と涙を忘れないでくださいね。

【 お別れドッジ大会の結果 】

ドリームキッズ 対 おやじキッズ

10:1

ドリームキッズ 対 レインボーキッズ

9:8 11:6

ドリームキッズ 対 ビクトリーキッズ

6:5

レインボーキッズ 対 おやじキッズ

10:0 9:1

稲田キッズ 対 徳間キッズ(65年地区別)

10:5 8:6

稲田キッズ 対 おやじキッズ

9:5

徳間キッズ 対 おやじキッズ

10:0

ビクトリーキッズ 対 おやじキッズ

3:8

 

《 今後の予定 》

 月  日(曜)

    内容

カギ当番

3月 14日(木)

5:15〜7:15

 

塩野崎さん

徳永さん

   21日(木)

1:00〜4:00

古里社会体育館

事務局

   28日(木)

1:00〜4:00

古里社会体育館

事務局

   30日(土)

3:00〜6:00

浅川社会体育館

事務局

 

4月上旬の練習日程(予定)

4月6日(土)1:00〜4:00

 

  11日(木)5:15〜7:15

 

  13日(土)1:00〜4:00

夜7時から保護者会

  18日(木)5:15〜7:15

新4年生が練習に参加します。

  20日(土)1:00〜4:00

 

県ドッジ協会から通知がきました。下記の通りにお知らせいたします。

クロネコカップ北信越大会 テレビ放映のお知らせ

SBCテレビ 3月20日(水) 3:25〜3:55

 

【 6年生の作文 】

 ぼくがドッジボールに入った理由は、ぼくの三つ上のお兄ちゃんがドッジボールをやっていて、お兄ちゃんはアップルランドの大会で全国大会に行き、ベスト8になったから、ぼくはそれをこえてやろうという理由でドッジボールに入りました。

 4年でさっそくぼくは5年チームに入りました。それからちょっとたって、ぼくは

6年チームに入りました。6年生チームに入って初めての大会は順調に進んだのに、戸倉ドッジマースとあたって負けてしまいました。

 5年になって少しすると、また6年チームに入って右サイドのキャッチになりました。この頃に強かったのは鍋屋田小のファイヤーボンバーズでした。6年チーム(ファイヤーキッズ)に入って一番印象に残ったのは、クロネコの大会でファイヤーボンバーズとやって、おしくもサドンデスで負けてしまったことです。でも、ぼくは最後まで当たらないで10mアタックを1本取りました。取った時には、ぼくは涙が出そうなくらいうれしかったです。

 とうとうあと一年になりました。最初に優勝した大会は「さかきカップ」です。最後の1試合を終わったら、小さな大会だったけど、うれしかったです。

 長野県で無敵と言われた「TEAM 北斗」をたおしたのは、クロネコ大会でした。その時はもう、うれしくてたまりませんでした。

 知事杯でも決勝で、ヘロヘロになっていたけど、「北斗」に2対0で勝った時はうれしかったです。北信越大会では、ベスト8でしたが、みんなの心が一つになり全力の試合ができたと思います。

 3年間、ありがとうございました。45年生もこれからの練習をしっかりすれば、いい成績をおさめられると思います。がんばってください。

 ぼくたちのチームを育ててくれた塚田先生や監督たち、ありがとうございました。ぼくたちを見守ってくれたお母さんがた、3年間本当にありがとうございました。                          (キャプテン 野村周比呂)

 

 ぼくは4年の頃からドッジボールを始めました。

 最初の頃は、練習がきつかったです。でも、6年生になった今、4年生、5年生ときびしい練習を乗り越えてきた成果が出てきたと思います。

 6年生では、JAの大会とクロネコの北信越大会以外は全部の大会で北斗に当たりました。最初は負けていたけど、クロネコの東北信大会、知事杯大会は北斗を倒すことができました。

 でも、夢の全国大会は行くことができませんでした。くやしかったです。

 今までバスを手配してくださったお父さんお母さんがた、ありがとうございました。

 中学校へ行ってもがんばりたいと思います。                          (副キャプテン 峰村亮多)

 

 ドッジボールを始めて、もう3年。ぼくたちは全国大会には行けなかったけど、今年の5年や4年は全国へ行けるようにがんばってください。

 ぼくたちが4年の時は、やっぱり負けてばかりだったけど、5年から勝ち始めました。それは毎週2回の練習で野村幸一郎先輩や監督・コーチに投げてもらって、キャッチがうまくなったからでした。

 たまにつかれていて、やだなぁーという気持ちもあったけど、最後までこのドッジボール愛好会をやっていて本当によかったです。

 その練習が6年生の時本当に本番でも自力が出て、勝てるようになりました。

 塚田コーチが言っているように、裏ではお母さん方が交通費とかで支えてくれていたので、ここまで勝てたんだと思います。

 監督・コーチにもこれまで指導していただき、ありがとうございました。

 ぼくたちの夢だった全国大会優勝めざして、がんばってください。(小林佑太朗)

 

 ぼくは4年の時、塚田先生に「ドッジボール愛好会に入らないか」とさそわれ、楽しそうだったから入りました。最初はとても軽い気持ちで練習に出ていました。

 でも、今はちがいます。だんだんきびしい練習を積み重ねていくうちに、気持ちが変わってきました。

 4年の時は大会で負けても、「残念だったなぁー。」で終わってしまっていたけど、5年の半ばころから大会で負けると、とてもくやしくて自然と涙が出てくるようになりました。勝ちたいと強く思うようになりました。

 6年生になり、練習の成果が実り、いろいろな大会で好成績が収められました。ついには、かなわなかったあの王者「北斗」を二度も破りました。

 北斗に勝った時はすごくうれしくて、今までで一番泣きました。ドリームキッズは、自分でもビックリする位強くなっていました。

 ぼくたちは、北信越までは行けたけど、全国へは行けませんでした。来年は全国へ行けるようにがんばってください。

                                (武内優樹)

 

 4年の時にこのドッジボール愛好会に入りました。

 はじめは、みんながやっていて楽しそうだからやってみたけど、どんどん楽しくなってきました。

 初めての大会は、5年のファイヤーキッズに入ってやりました。その時はとてもきんちょうして動けませんでした。

 こうして4年のころは5年のファイヤーキッズや6年の元気キッズUに行ったりしていました。

 5年になったら、やっと勝てるようになりました。予選リーグは勝てるようになりました。

 6年になり、小さな大会で初めて優勝できました。アップルランド大会は北斗とやって、負けてしまってとてもくやしかったです。

 JAながの大会ではみごと優勝できました。次のJA北信地区大会でも優勝できました。JA県大会では決勝戦まで行ったけど、「無敵王」とやり、負けてしまいました。

 クロネコカップでは初めて北斗を破り、優勝できました。その時はとてもうれしかったです。知事杯ではまた決勝で北斗と対戦し、今度は2セットとも逆転で勝てました。

 北信越大会では、ベスト8になりました。

 ドッジボールをやって来て、本当に良かったと思います。(佐藤貴文)

 

 ぼくがドッジボール愛好会に入ったわけは、兄ちゃんがさそってくれたからです。最初はルールがぜんぜんわからなかったけど、練習をやっていくうちにだんだんルールがわかってきました。

 ぼくたちはまだ4年生だったから、大会に出ても予選リーグで負けてしまいました。5年生になっても、なんとか予選を勝つだけで、決勝トーナメントですぐ負けてしまいました。

 6年生になって初めて「さかきカップ大会」に出て、優勝しました。さかきカップに出たチームは少なかったけど、それでも優勝したからうれしかったです。

 アップルランド大会ではおしくも北斗に負けてしまいました。その後もいろいろな大会がありました。中には優勝した大会もありました。でも、一番うれしかったのは知事杯です。北斗に2セット勝ててうれしかったです。

 3年間ドッジボールをやってきて、うれしかったです。最後に、監督・コーチのお父さん方、ありがとうございました。中学校へ行ってもがんばります。(風間貴斗)

 

 ぼくはドッジボールが楽しそうで、ドッジボールを始めました。4年の頃はぜんぜん勝てませんでした。

 5年になり、ぼくは後半6年生チームのファイヤーキッズに入りました。ファイヤーキッズのせんぱい達はボールがものすごく速くて、すごい人達がいっぱいいました。ぼくはそこで半年間キャッチ力をきたえました。

 そして、ぼく達が6年生になり、ドリームキッズでがんばりました。練習はかなりハードで、いつもおこられていたけど、大会ではいい成績がおさめられました。

 そして、クロネコカップを優勝して北信越大会に出れました。ぼくはこの北信越大会が一番キャッチできたと思います。最後は、福大附属という強豪と戦いました。ぼくはその試合が一番良いキャッチをたくさんしました。

 ぼくはドッジボールをやってきて本当に良かったと思います。ここまで来れたのも、みなさんのおかげです。3年間ありがとうございました。(北原貴利)

 

 ぼくにとってこの三年間は、とても長い三年間でした。

 このドッジボール愛好会に入った理由は、塚田先生に「お前は力もあるし、気が強いから、ドッジやってみたらどうだい?」と言われたからです。はっきり言ってドッジボールなんて興味もなかったし、きらいでした。でも、楽しい真剣勝負ができるというので入ってみました。

 初めは上級生の球も全然とれなかったし、パスをしても10mもとどきませんでした。このような状態でアップルランド大会の日がやってきました。パスは通るかな?キャッチはできるかな?と心配でした。しかし、最初の試合でアウトプレーをしてしまい、次の試合にはベンチに下げられてしまいました。一人だけのベンチというものはつらいものでした。自分が強くなったのは、このくやしさから始まりました。

 球を買ってもらい、1週間に2度は練習しました。NTT大会がせまった時は、毎日のように父に球を投げてもらいました。そして当日、5年生チームの球を2本もキャッチすることができました。とても気持ち良かったです。この4年生の時は、つらいこと、くやしいことでいっぱいの一年間でした。

 5年の時はあまり変わりはありませんでしたが、6年生になると、コーチ達も厳しくなりました。時にはやめたいと思った時もありましたが、そこを乗りきってなんとかここまでくることができました。これも監督、コーチ、保護者のみなさん、下級生のおかげだと思っています。本当にありがとうございました。

 5年生のみなさん、ぼくたちのかわりに全国大会に行ってきてください。(桧山大地)

 

 ぼくは、友だちにさそわれてこのドッジボール愛好会に入りました。初めての練習の時は「どんな人がいるんだろう」「どんな練習をするんだろう」と、とてもどきどきしながらやっていました。最初は毎週土曜日だけだったけど、木曜日も練習をすることになって、その時はとてもたいへんでした。

 4年生の時は大会でとてもきんちょうしました。でも、ぜんぜん勝てず、本当に少ししか勝つことができませんでした。でも、ぼくは4年の時に6年チームに入れてもらって良い経験になりました。

 そして、5年生。大会が増え、4年の時に比べ、勝てるチャンスが増えました。でも、勝ちはするけど入賞などはぜんぜんできず、残りの一年にたくすことになりました。

 そして、とうとう6年。いよいよ最後の年。最初の方の大会はことごとく北斗に負け、良い成績を残せませんでした。でも、6年の後半になってくると、クロネコカップ予選優勝、知事杯優勝と2大会とも北斗を破っての優勝がありました。

 そして、クロネコカップ北信越大会。予選は突破して、問題のトーナメント戦。1試合目の珠洲クラブには勝ち、ベスト8。そして福大附属と対戦しました。1セット目はサドンデスで勝ったものの、その後勝てずに終わってしまいました。でも、実力が出せたことはとても良かったです。

 中学校ではみんなとはちがう中学になってしまうけど、このドッジボールの経験を生かしてがんばっていきたいです。(菅沼遼)

 

 ぼくは4年の時、ドッジボール愛好会に入りました。ルールとかパスの練習はとてもむずかしくてびっくりしました。でも、練習をしていくうちに少しずつ上手になってきました。

 6年の時、ぼくは転校をしました。ドッジボールがとても好きで、お父さんとお母さんに送り迎えをしてもらってドッジボールを続けることができました。お父さんとお母さんにはとても感謝しています。それからコーチ、監督、みなさんにもおせわになりました。

 中学校へ行ってもこのことを忘れないで、がんばっていきたいです。3年間ありがとうございました。(玉井英雄)

 

 ぼくは4年の頃、このドッジボール愛好会に入りました。ぼくは徳間小学校にドッジボール愛好会があって、本当に良かったと思っています。なぜなら自分の好きなドッジボールができ、良い思い出ができたし、本当に楽しかったからです。

 入ったばかりの初めの頃はパスもうまくできませんでした。大会に行ってもすぐ負けてしまうし、4年生の頃はとても弱かった。

 5年生になってもなかなか成果が出なくて負けてしまう、とてもくやしかった。

 6年生になって、あのくやしさを生かし猛練習してきた。苦しい時もありました。本当に力がついたのかなと心配だった。しかし、たくさんの大会で強敵をたおして優勝できた。これほどまで力がついていたとは、自分でもとてもビックリした。

 もう大会に出ることはないけど、楽しかったドッジボールのことを思い出に残し、今度は中学校で勉強をがんばっていきたいです。

                                 (藤田紘充)

 

 楽しそうだから入ってみようと思い、入ったドッジボール愛好会。3年間でやめたいと思ったことが何度もありました。でも、最後までやってこれました。それはなんでかわかりません。

 けっきょく全国大会に行けなかったけど、みんな精いっぱいやれたからそれでいいと思います。

 僕はドッジボール愛好会に入って何事もあきらめないで精いっぱいやることを学びました。愛好会に入って本当に良かったです。

 最後に4・5年生のみなさん、ぼくたちが果たせなかった全国大会優勝をしてください。

 塚田先生はじめ、監督・コーチのみなさん、本当にありがとうございました。(竹腰大地)

 

 ぼくはドッジをやっていて、とても良かったです。

 4・5年と大会に出ては負けて、出ては負けでした。でも、6年生になった時、JAの大会で地区などで勝っていたのに、県大会で「無敵王」に負けてしまった時、すごくくやしかったです。でも、クロネコ杯、知事杯では、王者とおそれられていた「北斗」に勝ちました。その時は本当に勝ったのか?あの北斗に勝ったんだ!やったぁー!という気持ちでいました。

 そして、北信越大会で福大附属に負けてしまいました。その時、

「あぁー、もうこれで終わりなんだ…。」

と思いました。その時、監督もいっしょに泣いてくれました。ぼくたちは本当に良い監督・コーチに教えてもらっていたんだと思いました。

 監督・コーチ、ありがとうございました。それからいろいろな手配などをしてくれたお母さんたち、ありがとうございました。

                                 (太田佑希)

 

 ぼくは4年生の時に塚田先生にすすめられてドッジボールを始めました。最初の頃はボールを投げてもそんなにとびませんでした。でも、練習していくうちにボールも飛ぶようになり、キャッチもとれるようになってきました。

 そして、今ではいろいろな大会で優勝することができました。これは監督やコーチ、塚田先生がいろいろ教えてくれたからだと思います。それにお父さんやお母さんたちがお弁当作りや送り迎えをしてくれたからです。ありがとうございました。

 中学校ではドッジボールでおそわったことを生かして、がんばりたいと思います。それと、4・5年生はこれからまだあるので、がんばってください。(田中拓洋)

 

 4年生の時に最初は楽しそうと思って入ったドッジボール。本当に最初は大会に出ても1回戦負け。それがほとんどでした。

 5年生になると、少しずつ勝てるようになりました。6月に足のじん帯をのばして、二ヶ月ぐらいスポーツを出来ませんでした。ケガをしていた日は毎日がヒマでした。大会では初めての決勝トーナメントに行けました。

 6年だと数々の大会に優勝していきました。野球の大会などに重なって行けない大会もありました。試合の時はベンチだったけど、ドッジボールを通じてたくさんの友だちなどが出来たりしました。

 本当にドッジボールをやっていて良かったと思います。(荒井昭平)